「役割」にまつわる、世の中の不思議なシステム
こんにちは、紺野うみです!
不思議なものです。
ここのところ、どんどん思考や視界がクリアになっているような感覚があるのです。
自分のやるべきことや力を注ぐべきものが、まるで飛び出す絵本のような感じに浮かび上がってきて、自分の日常生活の中で、目の前に整列して順番待ちしているような……。
そして、その一つひとつをこなす上で必要なものや出来事、出会いの縁などが、きちんと必要な瞬間に用意していただけているという、なんとも至れりつくせりな感じ。
なのでさすがに、頭のあまり良くない私でも「ああそうだ、次はこれをやらなきゃいけないよなー」と分かるのです(笑)
ありがたい話です……。
でも、あまりに流れが整いすぎていて、逆にちょっと怖すぎるので……。
今の私は、「このお膳立ては、神様とか目に見えない方たちからの贈り物だから、もちろんこれからの自分のためでもあるけれど、ちゃんと感謝して、世の中や人のためにと思ってやっていかなきゃだめ! 与えられたら、なんでもできるだけ人に還元していかなきゃあかんのやで!」と、そらもう一生懸命言い聞かせています。
ほら、人間調子に乗りすぎると、絶対コケるから!笑
神社でのお詣りで、私がよく使う文句があるんですけど、「世のため、人のため、自分自身のためにも頑張ります」っていう誓い。
これは、「世間」と「他人」と「自分」のどこに偏っても駄目だと思うので、バランスよく意識しなくてはいけません。
人生って「良いこと」も「悪いこと」も、「幸せ」も「苦しみ」も、抱き合わせでセットなので……そう思っていないと怖すぎて。
ビビリなんです(笑)
でも、こういう繰り返しの中にいると、自分という人間がまさに「生かされている」というのが、ものすごく分かるんですよね。
「自分の生きている意味」ってなんだろう、って……誰もがきっと、一生に何度かは絶対考えることだと思うんです。
悲しいことに、辛すぎて苦しすぎて「生きている意味が分からなくなった」と、人生をリタイアしてしまう方が多い世の中です。
でも、それを自分で結論出しちゃうのは、絶対早いです!
もったいない。
本当に。
私はその答えは、自分の一生をかけて見つけていくものだと思っています。
きっと、答えは一つではありません。
方法も、道も、どこかにたくさん残されているはずですから。
もしそれがわからない時も、見えなくなってしまっているだけなのです。
人間には、それぞれに生きる上での「役割」があります。
……これを本質的な意味で理解し始めたのは、私も最近のことなんですが。
実は、2008年の大河ドラマ『篤姫』(……えっ、嘘でしょ10年前ってこと!?笑)で、初期の頃篤姫の母上が幼い篤姫に言っていたこんな台詞がありました。
この世のものには、すべて「役割」があるのです。
それは、人とて同じこと。
侍も、百姓も、人の命の重さに変わりはありませぬ。されど「役割」はおのずと変わります。
田畑を耕し、国を支えるのが百姓なら、その百姓たちを命投げ打ってでも守るのが武家の役割。
於一(おかつ)、武家のおなごは、いざという時のために覚悟を決めておかねばなりませぬ。
これは幼い篤姫(於一)が、ある時城を出て外の世界を見た時に、懸命に働く民百姓が飢えに苦しんでいる中、自身は「武家の人間」だというだけで何もしていないのに食事ができるということの理由が理解できず、食事を取らなくなってしまった時のことです。
母は、篤姫を再び外に連れ出し、民百姓が働くその世界を見せながら、この言葉を言い聞かせました。
「この世で自分が担うべき役割」――それを、いつでも、どこでも、誰に対しても。
考え続けていくのが、人生だと思います。
「役割」には良いものと悪いもの、どちらもありますよね。
せっかく生きていくなら、できるだけ、いろんな人にとっての「良い役割」を果たせる人間になりたいなーと思うじゃないですか。
そして「良い役割」を本気で果たそうと思ったら、きっとそのために必要なものというのは、必要な時に、必要な分だけ与えられると思うのです。
それが、世の中の不思議なシステムで、誰にでもあてはまる真理なのかな……と最近の私は考えています。
たぶん、「役割」がこの世にある限りは、人間きっと生かされるのでしょう。
向こう側の世界は、こっちで頑張ったら、やがて自然に行けるはずなので。
今はただ、楽しく生きていきながら、自分にできる「役割」を果たせるように過ごしていこうと思います!
人間、与えられた時間を大切に「生き抜く」ことが、何より大事。
どんなに苦しくても、自分で勝手に途中リタイアすることなく。
この世で生きていくのは大変だと、今まさに苦しんでいる人もいるのだろうな……と、昔の自分とか、これまで出会ってきたいろんな人のことを考えながら思います。
世の中にはいろんな生き方の手段があって、そのことに気づけたら、もっと楽に力を抜いて頑張れますよ。
そんなようなことを、繰り返し、世の中に発信していけたらいいなと思っています。
はぁ……伝えたい欲(紺野に備わっている欲。笑)がすごいので、その発散結果がこの長さデス(笑)
いつも、読んでくださってありがとうございます!
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人を見る目は何より大事
こんばんは、紺野うみです。
ここ数日更新がずれ込んでしまい、毎日の更新を楽しみにしてくださっていた方には、大変申し訳ありませんでした!
気持ちが悪いので、がしがしと巻き返してスケジュール戻します(笑)
さて、 まずはちょっと、日々のお礼から……。
いつも、私の記事を読んでくださってありがとうございます!
まだまだ無名な私が書くものを、日々マメにサイトを覗いていただいたり、反応やシェアをしていただいたりして、一つひとつがとってもうれしいです。
やっぱりね、一方通行でないと分かると、そのたび本当に幸せで(笑)
よく考えたら、ぐるぐるいろんな場所で更新をしているというのに、皆さんよくついてきてくださるなと思って……(笑)
ありがたいことです。
一応、紺野に関するいろんなお知らせが集約されているのが、今のところFacebookかなというところです。
(なにか動いたらシェアしています)
基本的に、更新ごとにお知らせをしておりますので、「今日はどこが更新だ!?」とモヤモヤする方は、よろしければそちらから飛んでみてくださいね★笑
https://www.facebook.com/profile.php?id=100023060416102
ではでは、お礼はこのあたりまでにして……。
記事本編へ行きましょう!
季節は春!
桜があちこちで見頃を迎えていますね♪
私のご奉仕している神社の桜も、見事に満開でした。
このシーズンは、やはり卒業や入学、退職や入社、転職、部署移動などなど……。
それぞれに、いろんな形で「環境の変化」が多くなってくるのではないでしょうか?
そう。
新しい環境に飛び込む時というのが、人生には何度もあるはずです。
そして、そのたびに絶対に必要となるのが「人を見極める能力」だと、私は密かに思っています。
私も昔は、基本的に同じ人間関係の中にずっと身を置いているばかりだったのですが……。
方向転換を決意して動き出してからは、「新しい場所へ飛び込む」機会がぐぐっと増えました。
そして、そのたびによい出会いをいただけて、こうして楽しく過ごしています。
自分にとってパーフェクトに居心地の良い場所、なんてものは滅多にありません。
ですから、どんな場所でもまず優先して見つけ出すべきなのは、「よいご縁」ーーつまり一緒にいて安心できる人や、尊敬・頼りにできる人だと思うのです。
私も何度か転職を経験しましたが、そのたびに自分で実感しているのは、「新しい環境で一人でも《人として素敵だな》と思える人がいたら、絶対に頑張れるし、飛び込む価値はある」ということ。
(味方ゼロだと、結構キツいと思います)
その場所の環境を作るのは、最終的には「人」です。
よく、新しい場所に馴染めなくて苦しんでしまう要因として、「人間関係」が挙げられますよね。
ですから、新しい場所に行ったら、まずはしっかりと「周りの人」を見てみましょう。
その環境に、どんな人がいるのか?
そこではどんな人が、どんな空気を作り出しているのか?
最初は自分を出しすぎず、それらを、じっくり観察していくことをおすすめします。
よく、自分をその空気に早くなじませようとしすぎて、無理して頑張りすぎてしまう方がいますが……。
正直なところ、それは後から何とでもなります(笑)
その環境をよく観察してみると、あなたもさまざまなことに気が付くことでしょう。
この人は信頼できそう。素敵だし、お近づきになりたいな……とか。
この人の作り出す空気が、この環境にだいぶ影響を与えているんだな……とか。
この人とは価値観が合わないから、必要最低限のお付き合いでやっていこう……とか(笑)
どこに行っても、まずは、そういったことを見極める努力をしてみてください。
これを繰り返していくと、自分の直感が結構鋭くなります(笑)
うわべだけで人を判断することなく、人間の中身も感じ取れるようになります。
こういったことの感覚が研ぎ澄まされると、正直なところどこへ行ってもそれなりに、元気を出して頑張れる環境を自分で準備できるようになりますよ。
誰になら、自分の深い部分をさらけ出しても大丈夫か?
誰になら、信頼していろんな話をすることができるか?
人を見る目は、たぶん自分の人生をよりよくするために、かなり重要な要素です!
これは、いくつになっても「自分の意識」で磨いていけるものですから、ぜひぜひ皆さん、この「出会いの季節」に意識してやってみてくださいね★
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働き方を考える 【第三章/会社に「消費」される人に心を配る】
こんばんは、紺野うみです!
ここまで二回にわたって、「会社」と「人」の仕事を通じた関係性に関して、私が思うことを綴ってきました。
今日は、このシリーズの最後に、もしあなたがその「消費」を傍から見つめることになった時の話をしたいと思います。
働き方を考える 【第三章/会社に「消費」される人に心を配る】
私は今回なぜか、どうしてもこの「働き方」の話をしっかりと書き残しておきたいな……という想いで、その「伝えたい」という温度を大切にしながら、私なりの考えや想いを綴ってきました。
(暑苦しすぎましたかね。笑)
これまでも私自身、何度かそんな現実を目の当たりにする機会があり、「自分に何ができるのか」ということを考える機会も多かったです。
私はまだまだ未熟ですから、そういう「消費」の現場や、今まさに疲弊していく人たちを見てしまうと、感情が先に立って怒りを覚えることも多いです。
でも、その「消費」にさらされる人を見ているうちに、必ずしもその「怒り」を消費をしている側に向けても、あまり意味がないことに気がつきました。
「消費」をしている当事者が、自分が「人を消費している」ことに気がつくためには、客観的な視点や、それを素直に受け止めるだけの器、そして他人の気持ちを想像できる必要があります。
それは、きっとそれぞれのペースやタイミングがあるでしょう。
早いうちに自ら気がつける人もいれば、何人もの犠牲者を出しても気がつけず、やがて自分の人生にそのツケが回ってきてから、ハッとする人もいることでしょう。
つまり、すべての人には、「それぞれの学びのタイミング」があるのだと思うのです。
ですから、自分がそこに対して感情に振り回された状態で「なんてひどいことをしているんだ!」とぶつかっていくのは、あまり得策だとは言えません。
その人に向かって「怒り」の感情を持ったままぶつかっても、相手からは「反発」を受けるだろうと想像できます。
むき出しの感情は、相手の心理を「反発」もしくは「萎縮」状態にしてしまうことが多いですからね。
それなら、人が「消費」されて壊されていく様子を、黙って見ているしかない……?
……それも、負けん気の強めな(笑)私には、自分の精神衛生上つらいものでした。
一度、その状態に気づいてしまったら、そのままにはできないものですよね。
それなら……自分にできることで、その人のために何ができるか?
――やがて、それを考えるようになりました。
そして、私は身近でそういうことが起きている時、その「消費」の仕打ちを受けている当人との会話やメッセージのやり取りで、なにか励ましたり間接的に力になれないだろうか……と思ったのです。
せめて「消費されない」ための心構えや考え方、生き方になってもらえたら、自分の手で状況を打開できる可能性が少しずつ広がっていくからです。
これは、私自身も積み上げてきたプロセスだったので、なおさら分かっていることでした。
私にも、さまざまな想いに縛られながら、脇目も振らずに働いていた時期があり……それを乗り越えたからこそ、見えてきたものがたくさんあったんです。
一度は自分の心をボロボロにしかけましたが、今はそれがあったからこそ、したたかに生きることができています(笑)
確かに辛かったけれど、あのプロセスを踏んできたからこそ今があると思うと、「今つらい状況」にいる誰に対しても「大丈夫、自分次第でもっと幸せになれるから」と伝えたいです。
「経験は宝」ですから。
大変だったからこそ、そしてそこからの学びがあったからこそ、それを活かさないと「自分」として生きている意味が薄れてしまいます。
私はこの話を書きながら、恐らくこんなこと(消費)は、日本中のいたるところで起こっているのだろうと考えました。
そして、私には「経験」と「書くこと」、ふたつの武器がある。
だったら、それを活かして、誰かの力になれたらと思っています。
皆さんの周りにいる、「苦しい想いを抱えている人」。
あなたにも、その人のために「自分にできる範囲のこと」で、なにか力になれることがあるかもしれません。
一緒に飲みに行ったりして、話を聞いてあげるもよし。
仕事とは別の気分転換に、付き合ってあげるのもいいですね!
さりげなく、「最近どう? 大丈夫?」と声をかけてあげるだけでも違います。
感情のぶつかり合いだけで誰かと「闘う」のではなく、思いやりの心を人に向けてみることからです。
まさに「自分の心を人に配る」、ということ。
そこから、状況を変えていくことはできるはずです。
後から「あの時、もっと何かできたんじゃないか……」と後悔するのは、つらいものですよね。
自分の人生の中で「こうすればよかった」という瞬間をできるだけ作らないためにも、周りの人の心や身体を、まずはあなたが大事にしていきましょう!
場合によっては、そんなあなたの姿を見て、別の誰かもそんな生き方を目指すようになるかもしれません。
そんな小さな積み重ねで、すべての人が「人を大切にする」ということのできる世の中に、少しでも変わっていったら……と願っています。
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働き方を考える 【第二章/人を「消費」しない会社になる】
こんばんは、紺野うみです。
今、現代を生きる人たちの「働き方」ーーそれを考えさせられる折が増えています。
「最近あの人は、仕事で精神的に追い詰められている気がする……」
「傍から見ていて、無茶な働き方をしていると思う人がいる」
「気持ちが不安定な様子で、危うい雰囲気の人を知っている」
同じ職場や、身近にいる人の中でも、結構こんな現実が当たり前に存在しているのではないでしょうか?
これは、会社が働く人をさまざまな形で「消費」している結果に他なりません。
この話は「人」と「会社」、どちらの側にも伝えたいことがあります。
前回は「人」に向けて、「消費されない」ための心構えを持っていただきたいと、綴りました。
そして今回は、ぜひ世の中の会社が「人を平気で消費する組織にならない」ために、考えていただきたいことを書いていこうと思います。
働き方を考える 【第二章/人を「消費」しない会社になる】
最近、私は日本の社会において「人を消費する」ような職場環境の多さに、正直恐怖すら感じています。
人を「遣う」のではなく、あえて「消費」と書きました。
人を「活かしてその能力を遣う」というよりも、まさに、「駒」や「歯車」といったようにその人のことを「すり減らす勢いで消費」していってしまうのです。
その人生や人としての在り方を顧みることなく、会社の都合だけで、使い捨てていくといった環境も多いです。
もしその働き方の結果、疲れ果てて立ち止まらざるを得ない状況に陥ってしまった人がいても、「根性がないね」「仕事を甘く見ている証拠」などと平気で口にしてしまいます。
その扱いを見ていると、まるで、一人ひとりの「心」の存在を忘れているかのように思えてなりません。
人が、自分自身の人生を輝かせるためにも、そして世の中のためにも生き生きと働き、誰かの役に立とうという気持ちが持てるかどうかは、本人の志はもちろんですが、その環境が大きく影響してくるものです。
環境は、人を育てもすれば、壊しもします。
人は誰にでも、「よいところ、得意なこと」と「悪いところ、苦手なこと」があります。
その人の「よいところ、得意なこと」を活かし、「悪いところ、苦手なこと」をどうやってフォローしていくか。
これは、世の中にいるすべての人間たちの、「補い合い」「助け合い」で解決できることだと思いませんか?
能力は、人それぞれに違います。
「自分がその場所で、どんな役割を果たせるのか」。
それは、働く人自身も意識していくべきことですし、その受け皿となる環境を作り出す立場にいる人たちにとって、いかにしてその「個」を活かしていけるかがその手腕が問われる部分でしょう。
自分の「個」を尊重し「人」として大切にしてくれる会社に対しては、人はなかなか背を向けられませんし、できるだけその期待や想いに応えたい、と思うものです。
しかし、「どうせ雑に扱われている」と感じたら、人はその環境の中で、果たして前向きに全力を注げるものでしょうか?
……答えは明白です。
これは、時に働く人の方も勘違いしてしまいがちなことなのですが……。
人間は本来、「お金を稼ぐため」に働くのではなく、「働くことそのものや、その結果得たお金を使って、自分の人生を輝かせるため」に働くべきなのです。
目的と手段を、ゴチャゴチャにしてはいけません。
「働く」ということは、もちろん大変なことも多いです。
対価として「お金」のやり取りがあるのですから、決して甘い世界ではなく、厳しい現実ばかりの世界かもしれません。
それでも、人は「前向き」でいられる限りは頑張れるものです。
大変な環境も、ハチャメチャな人間関係があっても、それなりに「どうやって乗り越えられるか」を、前向きに考えられるうちは大丈夫。
しかし、思いやりのない「消費」だらけの毎日では、人間誰しも「身体」や「心」に余裕がなくなっていってしまいます。
長時間の労働や残業などで、社員の「健康」や「体力」にまで、その影響が及んでいませんか?
ーーそれは、「身体の消費」です。
重い重圧やノルマ、プレッシャーなどで、社員の「精神」や「気力」にまで、その影響が及んでいませんか?
ーーそれは、「心の消費」です。
単位が「会社」というものになると、つい「自分は関係ないや」と思ってしまうかもしれません。
「今は大変な時だから、仕方がない」そう言い訳したくなるかもしれません。
「自分も頑張っている」んだから、「周りの人間も下の人間も、頑張るのは当然だ」と考えるのかもしれません。
でも、誰もが大切な人生の時間の中で、かけがえのない「今」を生きているのです。
それを束縛したり、踏みにじる権利はありません。
しかし、誰もがいとも簡単に「人を追い詰め、消費できてしまう」ということは、きちんと理解しておくべきです。
特に、あなたが人の上に立つ人間であるなら、尚更……。
自分の「影響力」を冷静に考えておいてください。
どうか、会社を運営している方や、役員として働いている方、上司や先輩という立場で人の上に立っている方、……そんな皆さんに、お願いしたいのです。
そこで働く人を、会社の「駒」や「歯車」としてだけではなく、一人の人として――かけがえない一つの人生を生きている「人間」として見つめてください。
頭ではなく、「心」を使って考えてみれば、きっと分かるはずです。
人の表情や、態度、言葉、行動をよく見てください。
「あれ?」と少しでも思う瞬間があったら、その「理由」を考えてみてください。
今まさに「苦しい想いをしながら自らを消費して働いている」人が、近くにいるかもしれません。
そんな人に、あなたは一言でも、なにか思いやりの言葉をかけられるかもしれません。
その一言が、その心を勇気づけ、やる気やポテンシャルを引き出して……。
「会社の駒」としてではなく、「ひとりの人間」として、また前向きに進むための力を得るかもしれません。
「人」を大切にできない企業は、結局「人」に見放されたり、裏切られたりします。
人の回転が速いところは、要注意です。
あなたは、そんな企業を作る「歯車」にはならないでください。
そんな中で普通に心を殺して働いていると、あなた自身まで「人を大切にできない人間」になってしまいかねません。
そうなれば、あなた自身の人生も台無しです。
「人とのご縁」は、誰にとっても、人生の財産なのです。
それを無下に扱うことをすれば、その影響は必ず、自分の人生にも返ってきます。
人を大切に生きていけば、人にも大切にされる人間になれますし、その逆もまた必ず。
「そんなの、理想論だ!」と言われるかもしれません。
それでも、その「理想」すらなくしてしまったら……人は「あるべき姿」を目指す指針すら失って、投げやりな生き方しかできなくなってしまいます。
あらゆる会社が、人を「消費」しない人間の集まりになるように。
……漠然としていると思われるかもしれませんが、すべて思いやりの世界です。
私たちが、幼稚園や保育園、小学校の頃から習ってきたような、ごくごく基本的なこと。
人の気持ちを慮って。
人の事情を想像して。
どうすれば、会社が「ひとつのチームとして」機能するか?
ちょっとだけ、立ち止まってみてください。
周りを見て、考える時間も、大切にしてみてください。
それができるようになってくると、少しずつでも、あなたの周りから変わっていきます。
会社は、必ずよくなっていきます。
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働き方を考える 【第一章/会社に「消費」されない人になる】
こんばんは、紺野うみです。
本日は、結構大真面目に、切実に……。
私が最近、とても心配していることを書いていこうと思います。
確実に長くなるので、もうシリーズにします(笑)
題して。
働き方を考える 【第一章/会社に「消費」されない人になる】
近年、「過労死」そして「過労自殺」が大きな社会問題にもなりました。
その犠牲者となってしまった方々の状況を振り返ってみると、長時間労働・休日労働・深夜労働などの《肉体的負荷》や、重い責任・過重なノルマ・過度なプレッシャー・達成困難な目標設定などの《精神的負荷》が積み重なった末の痛ましい結果なのだと分かります。
私は、これはひとりの人間が、自分の「時間」も「体力」も「精神」も、人生ごと会社に「消費」されてしまった究極の結果だと捉えています。
現代、あまりにも、この現象の犠牲者が多いとは思いませんか?
毎日つらく苦しい想いに蓋をして、光のない瞳のまま電車に揺られている人たち。
いつもイライラと精神的に不安定で、生きる喜びをどこかに置き忘れている人たち。
睡眠もままならず体力も限界なのに、やることだけが山積みになっている人たち。
そんな人があまりにも多すぎて、「それくらい別に大したことじゃない」と思っている人も、きっと多いのだろうと思います。
ですが、人間は一度追い詰められてしまうと、そのギリギリ限界の場所から自力で脱出するのは、非常に困難なんです。
そうこうしているうちに、重なる「消費」に追い詰められた人は、心か身体の限界を超えてしまいます。
この問題が「身近なこと」として意識されるための代償が、ひとりの人間の「死」という重すぎる形になってからでは、遅すぎるじゃないですか。
私がこれまで、さまざまなところで見たり聞いたりしたものだけでも、程度はさまざまであれ心や身体を「会社の消費」によって壊された人がいます。
それらを目の当たりにしたり、話を聞いたりする度に、「おいおいおい……待ってくれよ」と思うのです。
壊れてから、「あーあ」じゃ遅いんですよ。
それは代わりのきく「物」じゃなくて、人間の心や身体の話なんですから。
ひどい時には「壊されてしまった人」に対して、「あの人は根性がなかったね」「使えない人だったからね」でおしまい。
そこで生き残れなかった人は、「リタイア」扱いです。
そして会社は、また次の「消費」対象に手を伸ばします。
あなたは知っていますか?
こんなことを繰り返している会社が、悲しいことに、今は山ほどあるんですよ。
ですから、まずは一人ひとりの「働く人」に知ってほしいことがあります。
覚えておいていただきたいことがあります。
「いつも何かに追われているかのように働いているかもしれない……」
「会社で働きながら、いつも不安や恐怖心がある」
「ずっと頑張り続けていなくてはならず、心や身体の休まる瞬間がない」
まさに、自分自身がそうだ……と思う方もいるかもしれません。
正直なところ、どこの会社に行っても、そこが「天国」であるとは限りません。
それなら、自分の心に、いざという時の「出口になる扉」を作っておく必要があります。
今から、私自身の経験も踏まえて、自分が会社に「消費」されない人になるための心構えをお伝えしようと思います!
……そう。
何を隠そう私にも、かつては「こうでなくてはいけない」「こうあるべきなんだ」と自分を追い込みながら、必死で働いていた時代がありました。
振り返ってみると、その時期は、本当に心に余裕がありませんでしたね……。
「自分のこと」をまったく分かっていませんでしたし、自分を「客観的」に見ることのできない状態を作り上げてしまっていた気がします。
「●●のためには、こうすることは仕方ない」だとか「××しなきゃいけないから、我慢しよう」だとか。
そんな風に、自分を納得させる言い訳ばかりで心を塗り固め、その環境や現状を「正しいもの」としていたのです。
思えばこの頃、私は自覚もなしに、自分の心に「嘘」ばかりついていました。
ですから当然、自分のことが好きにはなれませんでしたし、自信も全然持てなくて、駄目な人間だからもっと「我慢して頑張らなきゃ、未来は拓けないぞ!」くらいに考えていました。
しかし、一度その環境を飛び出して、今こうして自分の意志で生き方や働き方を選びながら、心に正直に生きるようになってみると。
「なーんだ、こんなに《自由》に生きてもよかったんじゃない……!」
「その気になれば、働く場所なんていろんな選択肢が見つけられるんだ!」
……と、えらくカルチャーショックを受けたものです(笑)
こんなことに気づかないで、今までずっと苦しんでいたのかと、自分でも驚いています。
同時に、とても怖いことだなと感じるのは、苦しんでいたその瞬間は、そういうことがまったく見えてこないということ。
だからこそ、今まさに「消費」されながら、「働く」ことに追い詰められて苦しんでいる人がいたら、教えてあげたいのです。
「そんなに追い詰められなくても、いいんですよ。絶対に大丈夫、道はいろいろな場所にあります!」と。
人生には、本当にいろいろな「選択肢」があります。
追い込まれると「自分のいる道をがむしゃらに突き進む」ことしか見えなくなってきてしまうのですが、あなたにはその苦しい道以外にも、さまざまな「選べる場所」が必ずあります。
だから、だまされたと思って、視野を広げてみてください。
あなたの居場所は、苦しみしか生まないその場所だけじゃないんですよ!
それに私は、かつての自分よりも、今の自分の方が「いろんな可能性」を持っていることを知っています。
ですから、まだまだ未熟な部分も含めて、それをどうやって育てていこうかな……とワクワクしてすらいます。
以前は怖くてたまらず、早く「一人前にならなくては」と焦っていたのに、不思議ですよね(笑)
今は、ただひたすら、「少しずつ積み重ねて進んでいく」ということが、とても楽しいんです。
きっと、自分の心が選んだ「本当にやりたいこと」だから。
「心の底から好きなこと」だからこそ、それができているのでしょう。
今は本当に、肩の力が抜けまくっています(笑)
だからこそ、自分の内側からあふれてくる気力が枯れることなくあって、いろんなことにパワフルに取り組めているのかもしれません!
……そんなプロセスを経てきた私だからこそ、皆さんに声を大にして、確認しておきたいことがあります。
「あなたにとっての仕事は、あなたを追い詰める《辛く苦しい》だけのものになっていませんか?」
「この環境から出ることはできない(許されない)と、そう思い込んでいませんか?」
「働くこと」って、なんでしょう。
私は、「仕事」を通じて自分の能力を活かし、社会に貢献するとともに、自分の人生も豊かにしていく。
それが、本来の「仕事」のあるべき姿だと思っています。
誰もが、「働き方」を――「自分の人生」を、選ぶことができます。
その権利を、全員が平等に持っているはずなのです。
「会社」に心や身体、そして自分の人生を「消費」されないように。
しっかりと、自分で自分を、守ってあげてくださいね!
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心を壊す連鎖を止めるには
こんばんは、紺野うみです!
さて、私はこれまでさまざまな場所で、本当にいろいろな人に出会って、コミュニケーションや人の心について考える機会をいただいてきたと感じています。
そして、今の世の中、人間がいかに「自分の心をごまかして自分をないがしろに扱ってしまうか」はもちろん、「いとも簡単に人の気持ちを踏みにじってしまう人が多いか」も、嫌というほど見てきました。
特に、本来であれば人をまとめ、導いていくべき強い立場や人の上に立っている人が、弱い立場や自分より下の人の心を平気で壊してしまうというような光景を目の当たりにすることも多く……。
それには驚きや怒り、落胆を隠せませんでした。
そんな目に遭って、打ちのめされてしまったり、途方に暮れて苦しんでいる人を何とかしたくて、声をかけてみることもありました。
私自身もそんな苦しみを知っている分、それらから目を背けて何もしないでいるのは、自分の心を裏切っていることにもなって、嫌だったんです。
それに、「そっちがそうやって壊すつもりなら、こっちは助けるからな! 見てろよ!」と、生意気な怒り混じりの負けん気が熱を帯びたりしたものでした(笑)
そんな風に、人の心を踏みにじっている人の様子を見てしまうと、どうしても「この人は本当にひどいな」とか「本当に腹が立って許せない!」とか、そういった怒りの感情を抱いてしまう瞬間もしょっちゅうです。
でも最近、そういう行動を取ってしまう人に対して、「どうしてこうなってしまったんだろう……」という素朴な疑問とともに、なんとなく哀しいような切ないような、そんな想いが湧いてくるようになったんですよね……。
そんな行動ばかりしているので、結果的に人からうとまれていたり、嫌がられていたりするのですが、本人はそのことから目を背けているのです。
それで、ふと思ったんです。
そういう風に、人を傷つけたり心を踏みにじったりしてしまう人は、それぞれに今までの人生の中で、なにか自分も人からひどい扱いを受けていたり、心に傷を負ってしまっているからなんだろうな……と。
心のバランスを取るために、自分を強く大きく見せなければならなかったり、人を踏みにじることで自分を保っているようなところが、あるのではないか……と。
本当の意味での愛情や友情を知らず、人を思いやるよりもまず、自分の心を守らないといけなかったのでしょう。
人を大切にする気持ちにについて、鈍感にならざるをえなかったに違いないのです。
これは、その人だけが悪いのではなくて、どこかから引きずってきてしまっている、負の連鎖なんだろうと。
そんなことを想いました。
自分の感情を自分でコントロールできない。
誰にも心を許せず、本音も弱音も吐き出せない。
本当に味方になってくれる人がいない。
だからますます、心を閉ざして頑なになってしまう。
そうやって、結果的に、自分自身を追い込んでいるのをひしひしと感じます。
これは、あまりにも切ないことです……。
どうして人間は、明るく・楽しく・素直に生きられなくなってしまうのでしょうね。
現代は、こういう心の問題による負の連鎖が、特に顕著になってきていると思います。
「周りに悪影響を出しまくっている人」が、実は本質的に抱えている「心の傷や闇」の部分。
そこにスポットライトを当てていくことは、本当に難しいことなんです。
なにしろ、本人もその連鎖に気づいていないのですから、そこから抜け出せずに悪循環は止まりません。
もしもその人が、自分で自分の心に鍵をかけてしまっていて、心の中の闇を「見ないふり」していたとしたら……。
誰かが「その人のため」を思って発した言葉も、歪んで受け止め拒絶してしまうのです。
その心の檻は、最終的には「自分自身」で鍵を外し、解放してあげる必要があるのだと思います。
だから、私もこうやって「心のこと」を伝えながら、誰もが自分のことや人のことをもっと大切にできるようにと、書くことで「きっかけ」を作っていく必要があるのだと思い始めています。
つまり、私は心底、「人が人の心を壊してしまう」負の連鎖を断ち切りたいのです。
『罪を憎んで人を憎まず』という言葉通り、本当の愛情を知らない人こそ、切なくて可哀想でなりません。
傍から見ていても、横暴さの裏側に隠された、そのどうしようもないさみしさに気付いてしまうと、「どうにかしたいのに……」ともどかしさが募ります。
そして、人の言動にいちいち怒っているうちは、まだまだ未熟なんだろうなと自分のことも反省している今日この頃……。
私がこれからも、世の中に伝えていくべきことは何なのか?
なぜ、書いていくのか?
しっかりと、意識していこうと思います。
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文は武に勝る
こんばんは、紺野うみです!
最近、本当にありがたいことに、新しい場所にもお仕事が広がってきています。
そうすると、当然私の書いた文章が、今までは目に触れることの無かった方々にまで、さまざまな形で届いていくことになります。
それを考えた時、私はよりいっそう自分の「書くことに込める想い」はもちろん、「その文章がもたらす影響力」というものを、しっかりと意識していかなくてはと思うのです。
そこで、いつも結構気にしていることは、自分の文章を読んで「嫌な気持ちになる人」や「傷つく人」ができる限り出ないように、というところ。
「誰にでも受け入れられる文章」を書くのはなかなか難しいものですが、誰から見ても「嫌な気持ちにならないような文章」を書くのは、書き手の心と想像力次第かなと。
「ビビりだなぁ、なんでそんなに気にするの?」「自由に好きなように書けばいいじゃん」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)
確かに、ビビりかも。
……だって、自分が生業にしている分野で、人の心を傷つけたりしたくないじゃないですか。
自分が他の人と比べて、なにか少しでも得意なことや好きなこと、夢中なことがあるのだとしたら、それはぜひ「人」や「世の中」のためにも使っていきたいし、そうあるべきだと考えています。
皆が自分の「ちょっと得意」や「かなり好き」を見つけて、社会のためにそれを活かせれば、たぶんもっともっと明るくて元気な世界になると思うんですけどね。
……話を戻しましょう。
「気をつけないと、自分の書いたもので人のことを傷つけてしまう場合があるかもしれないぞ」と危惧しているのには、「言葉」や「文章」が人の心にもたらす力に、ひとえに計り知れないものがあると感じているからなんです。
「文は武に勝る」
皆さんは、……この言葉を知っていますか?
これは元々「ペンは剣よりも強し」という言葉から来ていて、「いかなる武力を持った抵抗勢力であっても、統治者の令状(逮捕状など)一枚でつぶしてしまえるだけの権力の方が強いんだぞ!」という意味だったそうです(笑)
しかし、今はこれが一般的には「言論の力は、武力よりも大きい力を持っている」という意味として使われています。
つまり、言葉や文章の力は、武力よりも強い! ということですね。
なぜなら、武力では人の心(精神・想い)までは変えられませんが、言葉の力は、人の心を動かせるからです。
ということはつまり、言葉や文章で人を傷つけたり怒らせたりすることも、実はとても簡単だ……ということでもありますよね。
しかも、意図する、しないにかかわらず。
ですから、少なくともそれで人からお金をいただきながら、人のために書いていくようになったら……。
プロとしては、「自分の紡いだ言葉の力の方向性」をどうしても気にしておくべきだなと思います。
そうでありたい、という願望でもありますね(笑)
それでも、日々伝えたいことや伝えるべきだなと思うことは、たくさんあります。
物書きたるもの、人の心をハッとさせるくらいの力は、文章に込めなくてはいけません。
ですからそのためにも、「表現する力」は、これからもどんどん磨いていきたいです。
言葉の力は、無限ですからね!
私はこれに関して、とにかく終わりのない学びが続くだろうな……と思っています。
これからも頑張ります♪
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自分のことしか考えないと……
こんばんは、紺野うみです!
いつの間にか「自分さえよければ」という人が、増えてきつつある世の中。
ここのところ、それを実感させられています。
そういった方には、共通して「自分の生き方」に対する「誇り」といったものが、あまり無いようだなと……私はそのことに、寂しさを感じます。
「思いやり」「気遣い」などといったような、日本人の目に見えない精神文化というのは、後世に残していくのが本当に難しいものだと思わずにはいられません。
それらはもはや、学校で習うようなものでもなく、口に出してあえて伝えられるものでもなく。
人の生き様や、立派な先人の背中を見る中で、その血の中に脈々と受け継がれていくものだと思うからです。
人の心を慮る。
人の痛みを想像する。
人のために骨を折る。
人に気を遣う。
人をたてる。
人に譲る。
これは、自分の利益や損得とは、別次元の場所にあるべきものです。
「自分さえよければ……」の意識を抜きにして行動している人は、結果的に周りの人の方から、本当の意味での信頼や信用を得ている……というだけのことなのです。
人を思いやれる人は、自分の行動についての見返りなんて、はなから気にしていないでしょうね。
そんなことは、期待していても意味がありません。
むしろ、人のために動ける自分でいられるということが、何よりのしあわせだからです。
いろんな方のいろんな姿を見ながら、人のことも同じく大切にできる、そんな人間でありたいなと、最近の私は強く思っています。
自分自身の「生き方」に「誇り」を。
それだけは、無くしちゃいけないものですね。
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必ず拓ける道がある
こんばんは、紺野うみです!
今日はひな祭り。
私も大人になってからは、雛人形を出さなくなってしまいましたが(笑)
最近の子どもたち(女の子)はどうなんだろう?
時代とともに、減ってきてしまっているのは想像がつきますが、こうやって文化がじわじわと消えていきつつあるのは、やっぱりさみしいものですね。
さて。
この週末は、またちょっと旅に出ておりまして……。
まぁお察しの通り、神社がらみの旅ですが(笑)
最近は、日常で「汚れたものや理不尽なものを見せられる」→「心が波立つ」→「振り回されてはいけないなと自分を立て直す」→「振り出しに戻る★」、といった流れが多くてですね(苦笑)
改めて、ゆっくりいろいろ手放して考えたりとか、やるべきことを見つめてみたりとか、とにかく「離れてみよう」というのがテーマの旅でした!
相変わらず、神社や自然(今回は滝メインでした。笑)に癒されて、洗われて帰ってきましたよ♪
それで、改めて感じた結論というのを、ここで書き残そうと思います。
よく人間は、嫌な人や嫌な場所に出会いその環境に身を置くようになると、自分の心を殺してでも「我慢する」か、その環境から「離れよう」「抜け出そう」と考えますよね。
私自身、これまでも「嫌なもの」には、さまざまなところで遭遇してきましたから、よく分かります。
でも、後でよくよく考えてみると、どれもその時の自分には「貴重」で「必要」な経験だったな……と思うわけです。
ただし、ここからが重要なところで……。
その「学び」には、必ず節目とともに「卒業」とも言うべき終わりが来ていました。
つまり、その環境から「離れてよいタイミング」「離れるべきタイミング」というものです。
さまざまな場所での、つらい経験や嫌だなと思うようなことによる「学び」。
これは、正直誰にでも、どこにでも何かしらあるものだと思っています。
それぞれの人に必要だからこそ、与えられている経験なのかもしれません。
問題は、自分の気持ちがそれを「どう捉える」か?
私もこれまで、場所や環境に自らの思い込みで「縛られる」ことの怖さや、「安定・安寧」から抜け出せない心理を実感してきました。
でも、思い切って外に出てみると、案外それは「できてしまうもの」で、「自分自身の心で選んでよいものなんだ!」という驚きがあったんですよね!
ある意味で「自由」になったというか……。
正直、人間は自らの覚悟をもってすれば、どこででもそれなりに生きていけると思うようになったんです。
ということは、本質的問題は……。
嫌な人や嫌な場所に出会ってその環境に身を置く時に、どこからどこまでを「学び」と捉えて受け止め、どこからが「卒業すべきタイミング」なのかを捉えることなんだろうなと。
嫌なものから「離れる」のは、実際は人が頭で思うよりも難しいことではありません。
しかし、すべての「嫌なもの」から即座に逃げていたのでは、人は強く優しくなれません。
ある程度まではしっかりと「経験」として享受してみると、不思議なことにある時、然るべきタイミングで「卒業」を促されることがあるんです。
これは、私の実体験(笑)
でも、そのタイミングを頑なに無視して突っ走って、自らを疲弊させたり腐らせてしまう人は、今の時代を生きる人にはとても多い気がしています。
そして追い詰められた人は、場合によっては、疲れ果てて絶望し「生きること」から離脱してしまうわけです。
その世界を「自分のすべて」だと、ここを出たら「上手くいかないに違いない」と、そんな風に思い込んでしまうんですよね。
でも、そんな人にもどこかで届けばいいなと思いつつ、私は今こういうことを書いています。
人はいつだって、自分の意志で行動し、時には居場所を変えてもいいんです。
そして、自分にとって「嫌なもの」は、貴重な「学び」である可能性が高いです。
「学び」には、必ず「卒業」があります。
それは、一度冷静になって、人の助言だとか自分の心の声を聞いてみると、必ず気づくことができるもの。
「卒業」のタイミングを、自分の「頭」だけで考えた狭い了見で逃さないようにだけ、気をつけてください。
「もう、十分学んだな」
「もう、ここで得るものはないだろうな」
そう思ったら、動くタイミングかもしれません。
それでも流れ的に動くことができなかったり、動く先が見つけられなかったら、まだそこになにか「得るもの」が残されているのかも。
そういうものをできるだけ正確に感じ取れるように、自分の心や感性は、いつだって自由にしておきたいものです。
大丈夫。
誰の人生の道も、あなた自身の「思い込み」を取り去れば、必ず拓けていきますよ!
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自然で尊いこと
こんばんは、紺野うみです!
今日で2月も終わりますね。
早いものでした(笑)
何だかんだで、昨年の10月からスタートした心理学のサイト含め、現状3箇所のサイトにて一日一記事で書き続けていくことができています。
(たまに時間がずれ込みますが……笑)
当初は、いくら好きだと言っても、果たして「毎日頑張れるのかな?」と思ったものです。
しかしありがたいことに、今の私は体力的にも精神的にも非常にバランスよく余裕をもって過ごせているなという実感があり、決して無理なことなんかではありませんでした。
やはりこうして考えてみると、私にとって「書く」ということは、自然で無理のない、本心で「やりたい」と思えることなのだと、理屈としても捉えられる気がします。
どんなに執筆が夜遅くになっても、疲れている時でも、「やだなー、書かなきゃだめだ」とならないので。笑
「よーし、今日は何を書こうかな?」
「今一番伝えたいことはなんだろう?」
そんな風に、考えながら日常の一記事に向き合っています!
いろいろと「書く」ことを通じて発散したり、整理したりということを、私の心が欲しているのかもしれませんね。
(皆さんにお付き合いいただいてしまい、恐縮です!笑)
ここでは、私、紺野うみの日常のささやかな話題を自由に。
はじめたばかりの「巫女ライター日記」も、たくさんの皆様に見ていただけて本当に嬉しいです。
心理学の方も、私自身の体験談がまとまりつつあり、これからも地道に発展させていけたらと思っています。
こんなに、書く場所を生み出してしまいましたが、すべて大事にしていこうと思います。
もう、育成ゲームのような感覚かもしれません(笑)
私が、私としてできることを楽しみながらやっていき、結果それが世のため、人のためにもなれば、これに勝る喜びはありません。
2月を終え、いよいよ3月、春も近いです!
これからも元気に頑張りますね♪
よろしくお願いいたします!
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