紺野うみの神社と書くこと、生きること

フリーライターが、神社や心について書くブログ☆

人は、活かすも殺すも上次第

 

こんばんは、紺野うみです!

 

先日、久々にアニキ(私の心の中の住人で、怒りや反発の体現者)が内側でめっちゃ怒ってるのを自覚する出来事がありました。笑

 

つまり、ものすごく許せないことがあったんです。

まぁ、委員長がいるので表向きであまり派手なバトルはしませんが(笑)

 

(※「アニキ」だの「委員長」だのの詳細が分からない方は、私の心理学系サイトを見ていただければ……笑)

 

それで「ああやっぱりそうなんだ」と思ったんですけど。

 

どうも私が特に「怒り」や「許せない」と感じることは、強い力や影響力を持っていたり、上の立場にある人が下の人の心を踏みにじっているのを見ることっぽいんですよ。

私の心の中ではね。

 

上の人間っていうのは、上に立つ以上それだけでも「責任」が大きいと思うんです。

たとえば、親もですし、教師も、上司も先輩も。

 

自分の人格・行動・言葉が、(立場や年齢が)下の人にとって、どれほどの影響を及ぼしているかということを、常に頭の片隅では考えているべきだと。

もちろん、その責任に振り回されて怯えたりする必要はありませんが、少なくとも自ら選んで人を束ねたりまとめているような方は、最低限の慈愛がないと、周りにいる人はたまったものじゃありません。

 

思い込みや色眼鏡で人を見たり、自分の好き嫌いを押しつけたり、相手の心を慮らずに言動をするということは、ある意味で存在自体で人の心に暴力をふるっているようなものです。

 

しかも、それを自分にやられるなら「おっ? 今度はなんの修行かな?笑」ってなるんですけど、世の中そんなにここまで能天気な人間ばっかりじゃないじゃないですか(笑)

今まさに、打ちのめされて弱っている下の人にそんなことしている方を見ると、もう「アニキ」がメラメラなんですよ(笑)

 

簡単に言えば、「弱いものいじめすんな!」ってことですかね。

 

今回は、さすがにちょっと動いて仕掛けちゃったんで、その波紋は生まれちゃいましたが……結果的に私にとっては一つの転機になったみたいです。

一時はモヤモヤしましたが、今は実にスッキリ……。

腹も決まって、結果オーライなのです!(なんのこっちゃって感じですよね。笑)

 

でも、本当に上になればなるほど、人間の器というのは求められると感じます。

 

そのエネルギーや影響力というのは、下に下に、重力や根っこのように降りていくものだと思うんです。

ですから、三角形のピラミッドのてっぺんの方に行けば行くほど、自分の言動が自分だけの物ではなくなっていくわけです。

 

器が大きく、慈愛のある方が上に立てば、下の人にはそのよい影響がいきわたることでしょう。

人をまとめて、よい方向へ導くこともできます。

よい組織というのは、そうやってできていくものだと思います。

 

人は、ある意味でたやすく人に影響を与えることができてしまいます。

一人ひとりの事情や想いを知ることで、「個」を活かすことも。

自分都合の狭い見識を押しつけることで、「個」を殺すことも。

 

せめて今生、生きている間に人の心を殺すようなことだけはしないようにしよう、と心に誓った紺野でした!

 

 
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