学校では教わらないこと
こんばんは、紺野うみです。
今年も、新年からいろいろなことがスタートして(っていうかさせてしまって。笑)、なにやらバタバタと新たな動きが起きているという実感がすごいです。
ただ、気をつけなくてはいけないのは、こういう時こそ一歩ずつ丁寧に、っていうことですね。
ついつい、なんでも中途半端になりがちなところだと思うんです。
しかも私のような、しつこいほどの「こだわり」と脱力系の「適当さ」が、リアルに共存している人間は!(苦笑)
それでね、2018年からの新しい世界を垣間見ながら、特に実感してしまったこと……。
それが、「学校で教わっていないけど、知っているといないとでは全然世界が違うな」っていう部分の「教養?」みたいなものが、いかに人間の中身を分厚くするかってことなんです。
「教養」って、もちろん学校の教科書に出ているようなこともそうなんですけど……。
育ってきた環境や身を置いていた世界によって、年月をかけて確立されてきた部分っていうのが、人にはやっぱりあるんだなぁって思って。
つまり、それは学校で教わっていないので、学力とかではなくたぶん人との違いが顕著に出るところの「教養」っていうものだと思うんですよね。
人間の魅力って、一言で言い表せないとしても、いろんな要素があるはずなんです。
思いやりとか、人の心の部分に関する温かさっていうのは、「人間性」という枠のようなところに分類されると思うのですが……。
品格とか誇り・礼節のような部分は、非常に日本人らしいものでありながら、確実に時代とともに薄れつつあるなぁと。
そういうものを自然と染み込ませている方っていうのは、「素敵だな」って感じるんですよね。
言動が、薄っぺらくない。
「なんでこうするんですか?」って尋ねると、きちんと答えが返ってくるような、理由と考えの裏付けがある行動をされているので、すごいと思うんです。
「なんとなく」とか、そういうのがあまりないんですよね。
私はここ数日でそれらを目の当たりにして、「あ、自分はまだまだ恥ずかしい人間だな」と痛感しました(笑)
そういう時は、恥ずかしさを感じつつも、同じ時間や空間を共にして「教科書にない学び」を積み重ねるより他ないのだろうと思います。
そういった理由もあり、いろんな世界を覗くことって本当に大切だなぁ……と。
ラッキーなのは、それに気づかせてもらったことなので、もうとことん謙虚にいきます!笑
もうね、本当に、なんでもいいんで(笑)皆さん私にいろいろ教えてください!
お願いします!!