お祖母ちゃんと交換日記をはじめた話
こんばんは、紺野うみです!
私には、幼い頃から一緒に同居をしている祖母がいます。
そんな事情で、なかなかのお祖母ちゃん子です(笑)
基本的に明るく社交的で、よく喋る祖母なのですが、一方心配性でもあり……。
うっかりすると、思考がネガティブに走り出すことも。
ストレスが溜まると、母と口喧嘩をしたりというようなこともあり、最近ちょっと気になっていました。
身体が疲れやすかったり痛くなったりしやすいと、どうしてもアクティブに「あれをやってみよう!」とか「ここに行ってみたい!」とか、そういう前向きな意欲も減ってきてしまうと思います。
本心はやりたいことであったとしても、「それは疲れてしまうから、やめておこう」「私には無理そうだから、やらない」そんな風に、自分でいろいろ挑戦することにストップをかけてしまいがち。
世界が狭くなってしまうと、毎日に新鮮さやおもしろさを見つけていくのも、なかなか大変なのかもしれません。
それでも、大好きなお祖母ちゃんには、生きることを最後までちゃんと楽しんでほしいです。
いろいろ心配したり不安がって暗くて後ろ向きな気持ちでいるより、明るく前向きに過ごしてほしい……というのが私の願い。
そこで、なんとか「私にできること」でお祖母ちゃんに毎日の楽しみを作れたらなぁと思って、ふと思い立ったのが「交換日記」でした(笑)
私の幼い頃(小学生くらいの時から)は、とにかく「交換ノート」なるものが大流行していたんですよね!
それもただのノートではなく、ちょっとファンシーなキャラクターが印刷されていたりするような市販のもの。
たとえば「嬉しかったこと」や「びっくりしたこと」などを書く欄があったり、「今日の○○ランキング」みたいなのを書く欄があったりして。
そんな楽しい物が、文房具屋さんにたくさん売られていたんです!(今はどうなんだろ?笑)
仲のよい友だち同士で、回して書いていったりして、とても楽しかったのを覚えています!
ノートが回ってくると毎回ワクワクしましたし、今日は何を書こうか考えることも好きでした。
その気持ちを思い出しながら、「あぁそうか。むしろ私にとっては言葉よりも、文章で気持ちや考えを伝える方が性に合っているし良いかも」と。
それに、耳が遠くなってきている祖母は、会話の中で言葉が聞き取れないことも多いようで、そういったストレスを与えることもありませんからね。
家族というものは、たとえ物理的な距離が近かったとしても、心の距離が遠くなってしまうこともよくあります。
近過ぎて見えるものが多くなり、ついつい自分の甘えやエゴをぶつけてしまいやすい存在でもありますから。
それでも内心はお互いのことを心配していて、「最近あったこと」や「今考えていること」だって、できるだけ知りたいと願っていたりしてね(笑)
家族としての難しさも、こんなひとつの楽しみを作ったりして、ちょっと変わったイベントのように工夫すれば、勝手に違ったものの見方に変換されたりします(笑)
もちろん、お互いが楽しんで無理なく続けていくことを前提に、ちょっと毎日を「おもしろく」する。
そんな気持ちでいます!
私の祖母も、実は自分で毎日日記をつけているようなタイプですし、ましてや書くことが大好物の私にとっては、たいした大変さも億劫さもありません(笑)
そんなわけで、愉快なコミュニケーションをお互い楽しんでいます!
まだ始めて3日ほどなのですが、毎度祖母のレスが早すぎて笑ってしまいます。
一日も経たずに返ってくる(笑)
私の今のお相手は祖母ですが、いずれ家庭を持ったら「家族自由帳」みたいなのをリビングに置いておいて、誰でも自由に好きなときに好きなように書く、みたいなのも楽しそうだなと妄想中!
家族の在り方も、いろんな工夫をして楽しくしていけたらなと思っています★
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「人」の考えに触れて「自分」を見つける
こんばんは、紺野うみです。
私が「ものを書く」うえで、大切に考えていること……。
それはいの一番に、やっぱり「自分が伝えたい」と思うかどうか。
「何を伝えたいのか」ということは、文章に魂を宿す大切な部分だからです。
でも、「取材」という形でいろんな方のお話を聞ける機会が出てきて、最近はますます思うようになりました。
「何を伝えるか」の部分を判断するためには、いろんな人の考えに積極的に触れていかなくてはならないな……と。
考えてみれば、ごくごく当たり前のことなのですが……。
「自分の考え」というものは、自我が芽生えたときには、誰にでもそれなりに生まれています。
でも、それはあくまでも、狭い見識の世界の話でしかありません。
たとえば、若いうちは特に、自分を取り巻くいくつかの世界が自分のすべてです。
考え方も自分本位になってしまったり、身近にいる人の言動に過剰に影響されたり。
「世界の狭さ」ゆえに、物事を見る目が偏ってしまうこともあります。
(まさに「若気の至り」というような言葉で表現されるようなことは、若さゆえに見識の狭さを自覚できず、そのまま突っ走ってしまうようなことだと言えるでしょう)
人間にとって大切なのは、その狭かった世界をいかに拡げていって、拡げた先に見出したり選び取った、「自分の意志」なのではないでしょうか。
自分ひとりの人生だけでは、人間は得ることのできる世界が狭いのです。
いろんな人の「話を聞く」ことや、「意見を交わす」ことが、いかに自分の世界を拡げることになるか……。
そんなことを、思わずにはいられません。
多くの人から話を聞きながら、そのうえで自分の目が見つめ、聞いた素敵な世界を、私はこれからも文章で表現していきたいなと思いました!
ということで、これからもどんどんいろんな方と出会い、交流していけたらと願っています★
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ルーティーン変更のお知らせ
こんばんは、紺野うみです!
さて、かなり自由に動くことのできた5月……。(もう終わっちゃう!涙)
比較的すいているであろう平日を狙って、埼玉県の秩父地方の神社を、まわりにまわってきました(笑)
秩父って、素敵な神社がかなり多くて。
しかもそれぞれの雰囲気が違っているのに、どちらのお社もたまらなく素敵でした!
そして、自然豊かな土地なので、神社に行くためにはもりもり足を動かすことにもなって、貴重な時間でした★
(運動不足の方に、おすすめです!笑)
山の上に奥宮がある場合は、できる限り「そこにも足を運びたい!」と願っているので、今回はいろいろな神社でプチ登山をしました。
多少大変でも、上にお宮があるなら頑張れる……そんな私です(笑)
そして、この時期はとにかく緑が美しく、自然が生き生きとしていて素敵ですよ♪
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「徳」を積む生き方
こんばんは、紺野うみです。
早くも、「あれっ、夏⁉」というような陽気が増えてきましたね。
でも、よく考えてみるとまだ5月なんですよね(笑)
先が思いやられますが、バテることなく元気にいきましょう!
日常に、楽しみやワクワクを織り交ぜながら……♪
それにしても……。
毎日、世の中ではいろんなことが目まぐるしく動いていますね。
ニュースを見ていると、やっぱり「ニュース」として大々的に報道されるような内容というのは、どことなく気持ちを重くさせるようなものが多いです。
(一週間に一度くらいの頻度で「パンダの赤ちゃん」が生まれてくれたらいいんですけど……。あっ、そしたらニュースにならないか!笑)
私たちは、いろいろな人に出会う度に、それぞれの「生き様」を目にしています。
そして私はなんとなく、最近特に「お金」や「地位」「肩書き」に縛られ、苦しそうにしかし血眼になって生きている人が多いなぁと思うようになりました。
昨日、おもしろいことがあったんです。
LINEで珍しい友人から連絡があったと思ったら、突然よそよそしい感じでこんな文面。
「今忙しい? ちょっと手伝ってほしいんだけど?」
「近くのコンビニでWebマネーカード(5万円分)を何枚か買ってきてほしいんだけど」
……とのこと(笑)
買ったら、裏を削って出てくるコードを写メで送ってほしい、と言うんです。
「えーーーーっ、怖い、誰?」と思いながら、共通の友人に連絡してみると、案の定その子は誰かにLINEのアカウントを乗っ取られてしまっているということなのでした。
私は単純に、「えっ、こんな恥ずかしい浅はかなことをしてまで、お金欲しいの?」って思ってしまいました(笑)
およそ引っかかるわけもないくらい、短絡的犯罪行為です……。
こんなことをするような人が、どこかに今まさに存在しているのだと思って、唖然とするしかありませんでした。
「もっと、いい生き方しようよ……」と、同情の気持ちすら湧いてきましたね。
どうして、そんな生き方をするようになっちゃったんでしょうね?
きっと、理由があるのでしょうが……。
それで、どうせブロックする前にと思って、「そんな馬鹿なことやってないで、ちゃんと、自分で自分に恥ずかしくない生き方をした方がいいですよ。全部、自分のしたことは自分に返ってくるんだから。」とプチアドバイスをしました(笑)
誰の心の中にも、良心と邪心があるはず。
今はなんらかの理由で邪心が優勢になりすぎて、そんな馬鹿なことをしてしまっているのかもしれませんが、いつかは目覚めてほしいなと思って……。
(その人も、神社に行ってみればいいのに。笑)
どこかの誰かさんの心に、ちょこっと種まきのつもり(笑)
お金って、そりゃああればうれしいですけれど、そんなことしてまでほしいものかな。
本当は違うと思うけれど……と、改めて考えてしまいました。
そんなにしがみついてまで守ったり、ましてや人から奪ってまで得る必要のあるもの?
お金の「価値観」が、明らかにずれているような感覚です。
お金は「使うもの」であるはずが、振り回されて「使われちゃってます」よね、完全に。
そんなに「物」にしがみつかず、自分の心をもっと楽に、自由にして楽しく生きていいのではないでしょうか。
たとえば「お金」だったら、生活に不自由ない程度に稼げていればいいですし、「地位」だったら人から求められればそこに収まり、「肩書き」も不要になったら手放して、自分の好きに生きればいいのではないかと……。
「お金」がなくたって楽しめることなんて、世の中にはたくさんありますからね!
もしくは、「楽しみ」を目指して、コツコツ稼いで貯めればいいのです。
それに、「地位」も「肩書き」を気にする前に、まず「ただの自分自身」を見た方が、よっぽど自分らしい人生を歩めるのではないでしょうか。
「お金」「地位」「肩書き」というのは、最終的に自分の身体がなくなってしまえばそこでおしまい。(お金は子孫に残せるかもしれませんが……)
あの世まで持っていけるものではありません。
それよりも、「人の心に何を残すか」ということをテーマにしてこそ、自分の生き様を人の心の中に残すことができる、「永遠」の財産になりうると思いませんか?
そこで、私は思ったんです。
たぶん、日本の神仏の世界で言われる「徳を積む」という行為を意識するのが、一番理想的な生き方に近くいられるのではないかと……。
「徳を積む」というのは、利害関係や損得勘定を抜きで、あらゆるものに真心と親切で向き合い、行動することです。
人から何かを奪って得る「得」や「幸せ」の 虚しさ。
それは、これまでの人類の歩みで、先人たちがたくさん証明してきていると思います。
それでいて、今もなお、多くの人が懲りずに繰り返している愚行でもあります。(今回のLINEの人もね)
正直なところ、一切の「損得勘定」なく生きていくのは、人間にとってなかなか難しいことでしょう。
私たちの打算や下心は、そうそう切り離せないものです。
しかし、「完全に無視した生き方をする」というのと、「実践しようと努力する」というのとでは、大きな開きがあります。
「徳」というもののすごいところは、これを自分から人に実践すればするほど、自分自身も勝手に幸せになれるところだと思うんです。
あのLINEの相手が、仮に誰かから大金を奪い取ったとしても、一生幸せに暮らせるとは思えませんからね……。
「徳」というとなんだかものすごく立派な感じがして、「いや私には無理だわ」って思われてしまうかもしれません(笑)
しかし言い換えてみれば、純粋に「自分で自分に一切の嘘偽りなく、自分のことを誇りに思えるか」というのが「徳」を積めているかどうかだ、と言えるかも。
ちょっとした悪意に触れた瞬間に、「徳」の価値を感じた私でした。
皆さんも、自分で自分に恥じない生き方をしていきましょうね!
それだけで、絶対に幸せになれますから。
なんのために物事に向き合うか
こんにちは、紺野うみです。
時事ネタになってしまいますが、日大アメフトの悪質タックルの件、ここ数日持ちきりでしたね。
私はもちろん当事者ではありませんし、その世界に詳しくもなく、無責任にあれこれ言うつもりもないのですが……。
率直に、最近のニュースで思うことがあるんです。
なぜこんなにも、人の上に立つ人間の在り方に、がっかりさせられることが多いのだろうかと……。
前を歩いて多くの人間を導くべき立場にいるはずの人なのに、その人の考え方や心の在り方、そして目指しているものが、明らかに「どこかずれているんじゃないか」と思ってしまいます。
今回の日大アメフトで言えば、渦中に置かれているのは、まだ大学生の若者たち。
彼らは自分の好きで始めたはずの「アメフト」の世界を通じて、教師(監督・コーチなど)や仲間と共に、日々たくさんのことを学んでいたはずです。
尊敬するリーダーや先輩に出会ったり、信頼する仲間とキツイ練習を乗り越えたり、自分の背中で後輩の手本となるように心がけたり……。
そんな経験やプロセスを経てこそ、結果として「勝利」を掴み、その先に「心からの達成感」が存在するのではないでしょうか。
「目的を達成するためなら、なにをしてもいい」なんていう無茶な理論は、あるべきではないと私は思っています。
完全に外野にいる私には、いろんな人の気持ちを想像していくことしかできませんが……。
相手のケガを負った選手も辛いに決まっていますが、何よりも辛いのは、反則タックルを行った選手や一生懸命ここまで努力してきた選手たちです。
反則と言われるようなタックルをしてしまった本人は、その行為を後悔し、心に傷を負ったことでしょう。
(いくら「やらざるを得ない状況に追い込まれたから」といっても、本人がアメフトという世界を好きであればあるほど、あのような行為で勝ったからといって心からの喜びは得られないでしょうし、自分で自分を責める気持ちが長く心に残ってしまうはずです。自分で自分に背負わせる「後悔」は、人がはたから思うよりも重くのしかかるものですから)
日大チームの選手たちも、「今まで信じて頑張ってきたものは、一体なんだったのだろう」と、心に問いかけたくなることだろうと思います。
そして、アメフトの世界そのものを愛している人や、純粋にアメフトを楽しんでいる人も、このような形で「自分の好きな世界」が汚されてしまうことには、やるせなさを感じたはずです。
勝負事の世界は、「勝ち負け」の意味や影響力が特に大きいことも分かります。
でも、大きな目で見た時に、本当に一人ひとりの人生に意味を持つものは、「勝ち負け」そのものだけじゃないはず。
勝つために、手段を選ばない。
なりふり構わずの手段を取って、仮に勝てたからといって、果たして心から喜べるものでしょうか?
「なんのために物事に向き合うか」ということは、すべての世界に共通して言えることだと思っています。
選手たちがあとあと振り返って後悔するようなことを、なぜ尊敬するべき立場にいる大人がさせてしまうのでしょうか……。
指導者にあたる人たちは、自身へのさまざまな影響を気にする前に、己の心に向き合うといいのではないかと感じます。
誰にとっても、自分の心に恥じるようなことをしていないか、自分を信じている人に対して申し訳が立たないことをしていないか、自分で自分に問いかけてみることが必要です。
この部分を誤魔化し始めると、最終的には自分にとっても、つらく苦しい状況に陥ってしまいますから……。
「そんなつもりはなかった」「そういう意味で言ったわけじゃない」とのことでしたが、正直なところ、仮に本当に本意ではなかったとしても、選手の側が「そう受け取った」なら、それが「結果」であり「事実」です。
導く立場にいるのですから、その心理を慮ってケアしてあげられなかったことがすべてで、指導者の落ち度でしょう。
素直に、「追いつめてしまって申し訳なかった……」と伝えてこそ、本当に人が尊敬し、後ろをついていくような人間になるのではないでしょうか。
厳しいですが「人を育てる」とか「人を導く」というのには、それだけで大きな責任が伴うものなのだと私は思っています。
かつて私も「子どもたち」を相手に「指導」を行う機会がありましたが、その責任の重さは正直に、とても怖かったのを覚えています。
まだまだ未熟な自分という人間のあらゆる言動が、子どもたちの人生に「影響」していくことを思って、恐怖を感じたり、自信を無くしたこともたくさんありました。
人間ですから、失敗は誰にでもあります。
指導者だって、時に間違えることもあることでしょう。
問題は、それを逃げたり誤魔化したりするのではなく、素直に認め改めることなのではないでしょうか……。
政治の世界だってそうですが、これ以上人をがっかりさせたり失望させたりしない、大人や指導者、リーダーが世界に増えてくれたらと願ってやみません。
その存在は、暗闇の中でも必ず人の心を照らす光になるし、希望になりうるからです。
それには、誰もが「自分の心」を強く揺るがぬものにしていく必要があると、最近強く感じています。
私も、まずは自分自身の心の在り方を見つめて、それから周りの世界に対する自分の影響を考えながら、日々を過ごしていこうと……。
そんな感想を抱きました。
日々の出来事は、自分に「考えるきっかけ」を与えてくれるものですから、その一つひとつから何を導き出すかは人それぞれ。
「無駄」なものごとは、自分の気持ち次第でなくなります。
最終的にはどんなことも、できるだけ自分の心に前向きなパワーを残すようにして消化していこうと思っています!
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人生を自分で「楽しく」する
こんばんは、紺野うみです!
今日はホントに、いいお天気でしたね~♪
皆さんも、外に出てみたりしましたか?
私は朝から晩まで、ずっとそれだけでご機嫌でした(笑)
まぁ、今日はご奉仕で神社にいたので当たり前なんですけど(私のセオリーですが。笑)、とにかくどこを見ても「清々しい5月のお日和」って感じで、うれしくてうれしくて。
実にお手軽でしょ?
皆さん、毎日、楽しみながら生きていますか?
いつ見ても「むすっとした顔」をしているなぁ、「不機嫌そう」だなぁと思う人は、現代に結構多いものです。
なぜ?
……答えは案外カンタン。
自分で自分を縛って、「自分の人生を楽しくしようとしていない」からです。
どんな世界でも「文句」「不満」なんて、挙げれば数に限りはありません。
それをいちいち拾い上げては、目くじら立ててイライラしていても、全然楽しくないじゃないですか!
自分の大事な時間をそんな風に過ごして一生を終えるより、もっと自分の工夫次第で自分の人生はいくらでも「楽しく」できると思いませんか?
どんなに小さなことでも「おもしろいなぁ」と笑い、どんなにわずかでも好きなことをする瞬間を作る。
そんな積み重ねをして、自分の心に「幸せ」を気付かせてあげてください。
たとえば、道を歩く時も「疲れたなぁ」なんて思っているより、足元に咲いているちっちゃい花を見つけて「うっわ可愛い!」と思う方が楽しい。
私は自然も好きなもんで、ついつい写真まで撮ってニヤニヤしていたりします。
(見ないでー!笑)
今日も帰りがけに、ものすごい可愛い若い紫陽花(笑)を見つけたので、すかさず撮ってtwitterでツイートしたら……。
歩いて帰ると、いろんなものに出会えますよ ぞろぞろ紫陽花の季節……
「そろそろ」が予測変換で「ぞろぞろ」になっていたらしく、家に帰ってはじめて気付いて、「ぞろぞろ紫陽花」に声を出して笑ってしまいました。
ね? 馬鹿でしょ?
でも、生きてて楽しいですよ(笑)
何かに追われるようにしてせかせか歩いて、ちょっと意識を向ければ気付けるような幸せに気付けずにいるより、楽しくて、私らしく生きてるなぁって思います。
自分で自分の人生を、ちょっとずつでもいいから「楽しく」飾りつけしてみませんか?
以上、基本的に能天気な私の、人生哲学っぽいものでした(笑)
「のんびりいこうぜ相棒😽」
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「信じる心」を育てながら
こんにちは、紺野うみです。
今、私は個人的な節目と、切り替えの時期を迎えているところです。
自身で決意して環境を変えてみたり、より広くしっかりと発信をしていくことができるように、少しずつですが積み重ねています。
神社のこと・神様のことを、より広く、できるだけ誰にとっても望ましい、理想的なかたちで伝えていくこと。
心理学・自己分析(自己人格分析)について、自分の経験を活かして表現し、皆さんの人生にも参考にしていただけるものに昇華していくこと。
そして、実は創作の方も好きなので、ゆくゆくは物語を通じても何かしら伝えていけるようになりたいな……。
こんな風に、さまざまな方向から「書くこと」を通じて、ささやかながら社会貢献できたらと願っています。
それが、自分という人間を最大限活かし、これまでの経験をも活かすことだと信じているので。
それにあたっては、私が大切にしていくことや決意というものを、折に触れてきちんと表明していこうと思っています。
(神社では、神様相手にすでにめちゃくちゃ表明してますが。笑)
信は力なり、という言葉があります。
そして「信じる心」は、その「信」の文字通り、「人に言う」ことで育つもの。
自分に「誇り」を持てる自分であるために、私が忘れないようにしておきたいこと。
それは、これまでの経験で痛いほど実感してきて、これからますます皆様に伝えていきたい真理……。
『自分の心に嘘をつかない』こと。
端的に言うと、これだけです。
これだけを、ポリシーにして生きていきたいと思っています。
自分の行動、発言、活動、発信するもの。
それを「汚さない」ためにも。
世の中には、嘘や建て前、誤魔化しがあふれていますが、人間「自分で自分の心に嘘をつく」ようになったら最後、どんどん道が自分の本心が望む方向から逸れていくものです。
私は現在「書くこと」を生業にしていますが、 その活動においては特に、その力で世の為・人の為・自分自身の為にも、「自分の心を偽って書く」ということを絶対にしたくないんです。
いつだって、「書いていることは、ぜんぶ私の本心ですよ」と胸を張って言えるように。
たとえば仮に誰かにお金をいただいて、お仕事として「これを書いてほしい」と言われても、それが自分の本心から書けなければ、全力で想いを伝えることはできません。
そんなものでは、本当の意味で人の心を動かすことはできない、そう感じています。
自分の心を汚してまで、「お金」や「名誉」を追い求めてしまっては、私の書くものを人生の貴重な時間を割いて読んでくださる方、罪のない方に対しても嘘をついて裏切ることになります。
少なくとも自分は、そんな人間になりたくないので、それをしない自分でありたい。
人間は弱い生き物ですから、うっかり心が揺れたり、なにかに目がくらんでしまうこともあるかもしれません。
ですから、ちゃんと自分を信じ続けるためにも、たまにこうやって公の場所(?)で「宣誓」のようなことをさせてください(笑)
今後、私も世界を広げてより多くの方に読んでいただけるものを書こう、そのためにいろいろ学ばなくてはいけない、と思っています。
それには、それだけの責任も伴います。
自分の心を信じて、本心に正直に。
「やりたい」か「やりたくない」か。
感性を信じていこうと思います。
日本語には、混同しがちな言葉があります。
それは、「思う」と「想う」です。
「思う」は「考える」というニュアンスが強く、その出所は「頭」。
「想う」は「感じる」というニュアンスが強く、その出所は「心」。
音は同じですし、一見似ているものに思えてしまいますが、人間は「頭」で考え始めるとさまざまな雑音が増えていきます。
「建て前」「義理」「~であるべき」「~でなくてはならない」「常識」。
これらが混ざりに混ざって、心の、もっとピュアな魂の部分が感じているものを曇らせてしまったり、存在を無視しかねません。
でも、通称「第六感」と言われる部分もそうですが、一見曖昧で不確かなように思える「感性」を磨いていくと、さまざまなものを感じられるようになるのだと思います。
感覚を研ぎ澄ませて、いつでもその直感に従って動いてみる。
自分を信じて、動いてみる。
心が「ウキウキ」「ワクワク」したり、顔が自然に「ニコニコ」「ニヤニヤ」してしまうことには真っ直ぐに向き合う。
そうでないなら、一度「止めて」おく。
分からなくなってしまったら、目を閉じて心に問いかけてみれば、おのずと答えは出るのではないでしょうか。
(※迷ったら、神社に行ってぼんやりすることをおススメします。笑)
自分の気持ちに素直に、生きていこうと思います!
なので、皆さんもいつか私の書くものに出会ったときは、その内容は「紺野 うみ」という人間の本心なんだなと信じてくださいね。
内容を受け入れるかどうかは、皆様におまかせします(笑)
「違うな」と思うことは、書きません。
もうひとつ添えると、「人を傷つけるようなこと」も、書かないように努力していきます。
そのためにも「書く力」は磨いていきながら、本心からのものをお届けできるように、楽しく頑張りますね♪
これからも、どうぞよろしくお願いいたします!
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自信と謙虚さのバランス
こんばんは、紺野うみです。
この間、ふと思ったんですよね。
「自信」と「謙虚」って、一体どっちが大事なの? って(笑)
人間、自分に「自信」を持って生きていかなきゃいけないけれど、自信の塊で完全に「謙虚さ」を失うと、それはそれで「横暴」な性格にもなりかねない……。
自分に自信を持てない人が「私なんか……」と言っていると、「誰にも良いところと悪いところがあるものなんだから、もっと自分の良さに 着目して前向きに行こうよ!」と励ましたくなります。
でも、自分の力を過信するあまりか、自分の意見を頑固に押し通して周りの気持ちや都合を顧みない人には、「もっと謙虚な気持ちを持たないと、どんどん孤立するし成長できないのにな……」と思ったり。
「じゃあ、どっちの方が大事なの?」と疑問が湧きますが、きっと何事もバランスだと思うんです。
自分のことを信じるのが「自信」ですが、まずは自分で自分を認めてあげることができないと、どんどん自己評価が下がっていき、なにも成すことができません。
それだけの力を、引き出すことができなくなってしまうんです。
しかし、自分に自信を持ちすぎるあまりに視野が狭くなり、「謙虚さ」を失うということは、自分のそれ以上の成長の幅を、狭めてしまいます。
その横暴さで、人を振り回してしまうことさえあります。
それなら、そのバランスを理想的に保つためには……。
自分の「可能性」や「成長」に向かって、自信を持つといいのではないでしょうか?
まだまだ、自分は成長できる!
もっと自分という人間を活かす方法は、ある!
そんな風に自分の「未来」を信じてみるんです。
そうすれば、今の自分に満足することなく、さまざまな人に教えを請うたり、人の意見に耳を傾ける余裕ができます。
でも、自分を「ダメだ」と卑下することもありませんから、「もっとよくなる!」という信頼で明るく頑張っていけますよね!
そんな風な前向きな自信は、たとえ根拠がなくても(笑)持ち続けていくべきです。
人を否定するための「自信」じゃなくて、自分を肯定するための「自信」。
それは、人の心を強く明るくしてくれる大切なものだと思います。
バランスよく、持ち続けていきましょう!
人間は、「心」の在り方次第で、日々いくらでも成長していくことのできる生き物ですからね♪
↑ 不思議なつつじを見つけました。見てください、この絶妙なバランス!(笑)
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人を幸せにする方法
こんばんは、紺野うみです!
今日は一日中外に出ていたもので、巫女ライター日記は、内容的にはもう書き上げているのですが……。
あとパソコンでカラフルにする作業(笑)が残っているので、こちらを先に上げておきます!(前後してすみません!)
さて。
これまで、私はたくさんの人に会い、お世話になってきました。
環境が自動的に変わることも、自由意思で変えることも何度かあり、当然のことながら、それぞれの場所には性格も生き様もさまざまな人がいました。
そして、それぞれの人が周囲にもたらす影響などについては、私は特に過敏に感じることが多く、本当に各所で勉強させていただいたという実感があります。
人と人との出会いは、お互いにその人生にとってよい影響をもたらすものであれば望ましいですよね。
しかし、すべての出会いが必ずしもプラスの影響力を持っているかというと、そうではないのが難しいところです。
(その場合は、自分の方で「プラス」に変換する作業が必要になるわけですが、それはまたいつかの機会に。笑)
さて、生きる上での理想を語れば、自分の存在が周囲のたくさんの人を幸せにできると素敵ですよね!
そこで、たくさんの人に喜ばれる技術を開発するとか、たくさんのお金を稼いで人に貢献するとか……。
世の中には、たくさんの選択肢があるものです。
でも、一番手っ取り早く、元手もかからず、周囲の人を幸せにしてあげられることが、私たちにもあります。
それが、「言葉」の力です。
日常で人にかける何気ない言葉や、メールで交わす文章。
そして時には、手書きの手紙……。
それらを使って、人の心を幸せにしてみませんか?
自分の身近な人にこそ、「言葉」の力は強い影響力を宿すものです。
たとえば、もうすぐ母の日ですよね。
子どもの頃は「お母さんに手紙」、書いたりしませんでしたか?
この歳になると、なかなか身内に手紙って書かなくなるものです。
でも、書く側の照れくささはあっても、もらった方は嬉しいものでしょう。
たとえばこういったイベントをきっかけに、近くの人を言葉の力でちょっと幸せにしてあげられる……。
そんな手段もあるのです。
メールだって同じです。
そっけない業務連絡のようなやりとりや、雑談だけでなく……。
時折「想いを込めて」メールを書いてみましょう。
もしくは、相手を楽しませるようなユーモアを返してみるのも素敵ですね!
相手がクスッとなったら、もうけもの☆
想いがこもればこもるほど、思い遣りが宿れば宿るほど、人に届き、人の心を動かす文章になるのです。
たまには、本気でものを書いてみませんか。
(うまい文章である必要はありません。想いを込めれば大丈夫!)
言葉の力でも、きっとあなたの大切な人を幸せにできますよ!
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心を豊かにする文化
こんばんは、紺野うみです。
本日は、不思議すぎる素敵なご縁をいただいたとある神社様(行き先はまだ秘密★笑)に足を運んで、いろいろとお話を伺ってきました。
そもそもこちらの神社を知ったきっかけや、初めて足を運んだ時の「素敵!」という直感、その後に発覚した別方向からのご縁の繋がり……。
どれを取っても「神様が目に見えないところでいろいろと繋いだり動かしている」としか思えず、「すごいなぁ……」と、ただただため息(笑)
実際にお話を伺ってみると、とにかく素敵な神社で、そこにいらっしゃる神職の方も素敵な心の持ち主だということを確信しました。
改めて、「取材」という形できちんとご挨拶ができ、お話を聞くことができてよかったと思っています。
私が「神社・神様」に関して書くことのお役目は、あくまでも「神社・神様」と「皆様(世の中)」をつなぐ架け橋のようなもの。
「きっかけ」「窓口」「種まき」――だからこそ、どちらの視点も大切にしていきたいんです。
ちなみに私は、これからその「素敵だから皆さんもぜひ足を運んでみて!」と叫びだしたいこの想いを、どうやって1記事の2000~3000文字くらいに収めるんだろうか……と既にだいぶビクビクしています(笑)
とにかく、大切に大切に書いていこうと思います!
そこの神社の宮司さんが仰っていた、印象的なお話をひとつ。
実はお金持ちになればなるほど、「自分は幸せだ(満たされている)」と答える人は、なぜか減ってしまうのだとか。
お金がいっぱいあれば、それだけで幸せなんじゃないかと思ってしまいませんか?
しかし実際のところ、程よく稼ぎ、程よく暮らしている人が一番幸福度が高い、というデータがあるのだそうです。
……私はそれを聞いて、つまり、人を本当に幸せにするのはありあまる「お金」じゃないんだなと改めて思いました。
お金がたくさんあれば、「物質的」には満たされた生活ができるかもしれません。
しかし、人が幸せを感じられるかどうかは、「心」が満たされているかどうか。
……これに尽きるのではないでしょうか?
私は、まさに神社の文化というものは、その「心を豊かにするために大切なこと」を教えてくれるものだと思っています。
これから、ますますこの文化の伝えるものが、人間にとって大きな意味を持つようになってくることでしょう。
「神様? そんなの本当にいるの?」
「目に見えないのに、信じててもばからしいんじゃないの?」
「人生、自分の努力だけでなんとかなるでしょ?」
こんな思いを抱く人も、まだまだ世の中にはたくさんいるかもしれません。
しかし、この文化が一番に教えてくれるのは、どんな物事にも「感謝」する心です。
その意味に気が付けるようになるかどうかで、人間は「幸せ」を見つける力が格段に強くなるのです。
「心を豊かにする文化」を、時代に即した形にしながら、神髄の部分は大切に守り継承していく。
私自身も「書くこと」で関わらせていただくからには、その難しさとおもしろさを実感しながら、これからもしっかり積み重ねて進んでいこうと思います!
今日はとにかく、素敵なご縁に感謝でした★
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