紺野うみの神社と書くこと、生きること

フリーライターが、神社や心について書くブログ☆

ご縁のかたち

 

こんばんは、紺野うみです。

 

さて。

最近さらに「人」との繋がり、つまり「ご縁」について、いろいろと意識することが増えてきたのですが……。

 

人との「ご縁」もいろいろなかたちがあるなぁと思いまして。

今日は、そんなことを綴ろうかなと。

 

以前、いろいろとしがらみまみれになっていた私が、一度冷静になって人間関係のすべてをなかば強制的にリセットする機会がありました。

 

そこで、本当に自分にとって大切なご縁はなんだろう? と思うようになったんです。

 

それこそ、携帯電話ができて、どんな人とも取りあえず「繋がっておこう」っていう風潮がありました。

 

電話帳の件数が……とか、フェイスブックのお友達の人数が……とか。

フォロアーだのなんだのと、「数」を求めている傾向の強い時代がありましたよね。

(……ひょっとして、今もなのかな?)

 

でも、こと人間関係にいたっては、量より質だと思うんです。

もちろん、数の力が大きな意味を持つ場面もあるでしょう。

それでも、人との繋がりは、自分の心に大きな影響を与える大切なものです。

 

ことわざでも、「朱に交われば赤くなる」とありますよね。

それは、悪い場合もですが、よい場合にも絶対的に当てはまることだと思います。

 

よい影響を与えてくれる人や、よい心持ちの方のそばにいると、たいていの場合自分もよい心の状態でいられますし、さらによい人が寄ってきてくれるようになります。

これは間違いなく、そうです。

 

でも、人生って確実に「反面教師」も必要なんですよね。

世の中に出ていれば、ひどい環境もあればひどいことをする人もいます。

時に、それらに振り回されてしまう瞬間だってあるでしょう。

これも確かなことです。

 

そういった存在は、必ずしも避けられるとは限りません。

そもそも、完全にきれいな環境なんて、ほとんどあり得ないことかもしれませんよね。

 

でも、そういう環境や、人との関わりにおいては、私はなんだか「試されている」とか「勉強させてもらっている」という気がするんですよね。

世の中すべてが善人だとすると、「学び」をするには困難な環境だと思いませんか?

 

たとえば誰かが声高に人の悪口を言っているのをよく耳にするような環境に、自分が入り込んだとしますよね?

そしたら私は、その瞬間から「学び」のための縁が発生したんだと思うようにしています。

 

その中にいても、決してよくないものには染まらない、強い心を養えます。

その中にいても、人と上手に関わってよい結果を生み出せる練習ができます。

その中にいても、きれいな心を持っている人と分かり合えるかもしれません。

 

世の中、完璧な人間なんていませんし、天国のような土地ばかりとは限りません。

大切なのは、一つひとつの「ご縁」の意味を考えながら歩むことだと思っています。

 

今、自分が身を置いている環境や人間関係について、不平不満がある方も多いことでしょう。

でも、何かしらの「ご縁」が、あなたに必要な、大切な学びになっているかもしれません。

 

その学びすら得られない環境や人なのであれば、その場所からは自然に離れられるようになっているんじゃないかな……と、最近そう思います。

 

ご縁のかたちもいろいろです。

 

見つめなおしてみませんか?

なにか、気づくことはありませんか?

 

 
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大雪の中で

 

 

こんばんは、紺野うみです。

 

東京も近年まれに見る、まさかの大雪となりました!

交通が、完全に麻痺してしまいましたね。

皆さん、無事にお家に帰れましたか……?

 

駅がすごかったみたいで、電車も人も、あちこちで混乱が起きてたみたいです。

こういう折に結構心配なのは、雪そのものはもちろんなんですけど、人がイライラしたり殺伐とした空気がもたらすトラブルな気がします。

 

自然のことだから、こういうのは正直誰のせいっていうわけでもなく、仕方ないのですけどね。

やっぱりさまざまな想定外や、いろいろな不都合が重なると、人間怒りのコントロールが難しくなってしまうのかもしれません。

そしてひとりがイライラして当たり散らすと、周りにも連鎖が……。

 

でも、そういった側面を抜きにしたら、たまに降る雪は気持ちを新鮮にしてくれる気がします♪

 

雪のさわり心地とか、夜なのに明るい独特な雰囲気とか、久々に見て「あぁ、そうそう!これこれ」という気持ちにもなります(笑)

 

明日はどんな景色かな……?

都会は、すぐに雪も汚れてしまうけど(汗)

皆さん、今日はお疲れさまでした!

明日も怪我しないように気をつけましょうね!

 

気遣いをいつ学ぶか

 

こんばんは、紺野うみです!

 

最近、よく思うんです。

現代社会を生きる人は、「気遣い」をいつどこで学べるだろうか?    ってね。

 

私はよく心理学の方の記事で「自分の心を大事にしましょう」、としきりに書いています。

でも、一見矛盾しているようですが、「人をの心を大事に」するっていうことも、心ある人として生きていくには、絶対に欠如させてはいけないと思うんです。

 

いかに「私」の欲を殺せるかも、たしかに重要なこと。

 

それは、世界は自分一人のために存在しているわけではないので、当たり前のことなのですが。

どうにも、どちらかに偏ってしまいがちなのが人間かもしれません。

 

自分のことも、他人のことも、同じように「大切にできる」「愛することができる」、こういう心を育てないといけないと思うんです。

 

私は、多分これまでの半生の中で、まず一度徹底的に「滅私(自分を抑え、殺すこと)」を学ばせてもらったんだと思います。

(言葉が古いんですけど、「滅私奉公」とかの滅私ですね。笑)

 

でも、それで自分を大切にすることを忘れてしまっていた。

 

それで改めて、自分の心を大切に……と言い聞かせるようになったのです。

 

でも、今の世の中を見ているとどうにも、「私が私が!」という主張が強く、周りがどう感じるか?    といった「気遣い」の感覚が薄くなっていってるような気がして。

そんな場面を目の当たりにしてしまうと、やっぱり哀しくなるわけです。

 

 

今の世の中を生きる人たちは、「気遣い」をどのように学べばいいのでしょうか?

 

これはもちろん、いろいろな方法があることと思います。

答えは決まってなどいません。

 

でも、できるだけ忘れずに、日々考えていくべきテーマですよね。

 

たぶん、世の中で生き生きと輝いて人からも一目置かれるような方は、自分のことはもちろん、他人のことも「気遣い」を忘れず大事にしていると思います。

 

要は、そのバランスや、その瞬間にどちらのことをしっかりと考えるべきかというのを、よく見極める目を持っているのでしょうね。

 

人のことをよく見て、周りの人が気持ちよくいられるようにする。

そういう「気遣い」をすべての人が無くしてしまったら、もう世の中荒みきって、メチャメチャになってしまう。

 

「気遣い」というのは、人の「優しさ」や「強さ」、自分への「誇り」があってこそ成せるものなのではないでしょうか。

 

私が考えるに、時によって自分より相手を大切にするということは、巡りめぐって自分の心を「優しさ」「強さ」「誇り」というものを通じて大切にしていることだと思います。

 

 

私には、ありがたいことに「気遣い」に関して、周りにたくさんの素敵なお手本がいます。

その方々の言動を「あぁ、素敵だな~」としみじみ噛みしめることで、ずいぶん勉強させていただいてます。

 

まずは、そんな風に素敵なお手本を見て学ぶこともよいかもしれません。

 

自分の心の辞書に「気遣い」の言葉が深く刻まれる、その日まで。

 

 

キャリーバックの達人

 

こんばんは、紺野うみです!

 

昨日はちょっと、キャリーバックを片手に移動することがあって。

それで、思ったんですよね。

キャリーバックの達人になりたいって(笑)

 

……っていうのはね、キャリーバックって実は、メチャメチャに扱いが難しいものだと思うんですよね!

 

少なくともプラスひとり分くらいはスペースを取りますし、身ひとつの時とは動きやすさも勝手も違います。

 

後ろを歩く人がつまずかないように、できるだけ省スペースかつ、段差などもスムーズに移動!

自分勝手な動きはできないわけです。

いろいろとなるべく迷惑をかけないようにしないといけないんですよね!

 

朝の人混みの中なんて、まさにミッションです(笑)

なんかゲームでありそう……人にぶつからないよう避けて歩くような!

 

本当に、都会で生きていると、その辺りはすごく気を使うようになります。(私は。笑)

だって、ちょっとぶつかっただけでも「チッ」とか舌打ちならまだいい方で、最悪絡まれるらしいですからね……。

(※注・私は絡まれてません)

 

まぁでも、自分の行動の影響っていうのは、キャリーバックの存在よりも気にすべき点かもしれません(笑)

特に、いるだけで誰かが迷惑をこうむっているような状況は、少なくとも私はやらない人間でいたいなぁと思います。

 

たとえばね、道の真ん中で立ち止まって喋っているとか。

こんなのは本当に些細なことなんですけど、その、周りが見えていないらしい自分本位な他人の様子を見てしまうと、ああはなりたくないなぁと思うわけです。

 

これも、ひとつの想像力の問題なのかもしれません。

ちょっと考えてみれば、ここで立ち止まっていたら、誰かが邪魔に思うだろうな……とかは分かるはずなので。

 

だから、私たちはいつも自分のことばかりじゃなくて、周りを見る必要があります。

周囲に気を遣うべき瞬間があります。

 

キャリーバックを手にしながら、あ……これだってひとつの練習かも、と思いました(笑)

自分の影響が、果たして周りの迷惑になってないかどうか?

 

都会は世知辛いので、絶好の鍛え場所なのではないでしょうか?笑

 

 

その場所での役割

 

こんばんは、紺野うみです!

 

フリーのライターとして活動している私なので、最近「書く」だけでなく、さまざまなお仕事に携わらせていただくようになってきました。

本当に、お声がけいただけるだけで、ありがたいことです。

 

どれもこれも、自分の持っている能力で役立てそうだなっていうことであったり、楽しくてイキイキ働けることをお手伝いさせていただいています。

ライターとしてのお仕事以外に、接客なんかが好きですね、私の場合は(笑)

 

この時に、自分がそこで本当に役立てるかどうかっていうのは、自分にとっても相手にとっても大切なことだと思います。

仕事をする側は、相手に「任せてよかった」って思ってほしいし、仕事を依頼した側も仕事をする側に「任せてもらえてよかった」って思ってほしいものですよね。

どちらにとっても幸せ☆

 

仕事では特に、ここが「自分の能力を活かせる場所かどうか」というのを丁寧に考えておくと、それがハードな「仕事」であっても、やりがいや幸せを実感できると思います。

自分の力と、そこで求められる役割というのが、上手にマッチすると、お互いが良い状態になれるので理想ですよね!

 

それを掴むのにも、私の場合は「住人」を使った考え方を活用したりしています(笑)

 

たとえばライター職では、当然のことながら基本ヒロさんにゆだね、その文章へのこだわりを活かしてます。

接客業なら、リンさん×委員長×アニキの外交トリオが混ざり合って対応。

……かと思えば、なにか黙々と作業したり掃除をするような時は、無心で作業するのが好きなまもるくんが出てきますし(笑)

 

それは、その場所で求められていることを考えながら、自分の方をカメレオンのように変化させることでものすごく円滑になるんです。

だからこそ、自分がどんな役割を担えるかということを知っておくと、本当に都合がいい!

私にしてみたら、すっかり慣れ親しんだ「住人」たちですから、人格としてイメージもしやすいので変わり身が楽です(笑)

 

うーん、どうやったら皆さんにも、こうやって自分の住人を見つけだしてもらえるだろう……?

いつも、そんなことばかり考えているのですが、やっぱりオリジナルでゼロから考えていることなので、共有できるように形式化するのがものすごく難しいなと思ったり。

生みの苦しみ!!

……でも、めちゃめちゃやりがいはありますね(笑)

もう、コツコツと進めていくっきゃないなと思います!

 

小説も書きたいですし、心理学も続けて書いていきたい……。

まだまだ勉強しなきゃいけないことも多いなと感じる今日この頃ですが、なんでも続けていくには楽しまないとね!笑

 

さーて、今世の人生を通じて、私はどんなことを成し遂げられるかな?

生かされているうちは、この世でやるべきことがあるってことだもんね!

どんなことも、明るく元気に励もうと思います☆

 

仕事の価値

 

こんばんは、紺野うみです。

 

先日、以前お手伝いさせていただいたお仕事の方からご連絡がありました。

それがありがたいことに、「また手伝ってくれないか」というお声がけだったんです。

 

私、いつも思うんですけど、これが何よりも嬉しいです。

本当に、心から幸せだなって思う。

 

仕事の価値って、人から「求められるかどうか」だと感じていて。

なんでもそうなんでしょうけど、仕事っていうのは特にお金をいただくわけですから、いわば自分の存在で人を幸せにするようでなくてはいけないなと。

どうしても人間って、自分のやることなすことが「独りよがり」になってしまいがちだと思いませんか?

私も未熟なんでよく反省するんですけど、自分視点になってしまうんです。

油断するとすぐに!笑

でも、こと「仕事」については特に「独りよがり」ではいけないと、そう強く念じている部分があります。

 

私は一度自分で道を定め直してからは、なおさら人や世の中の「役に立ちたい」って思うようになりました。

でも、それは「自分にできること」であって、等身大の自分が人に貢献できることであればいいんです。

どんなことでも。

無理して背伸びしたり、自分を偽ったり飾ってまでやることではないのですけど。

それをすると自分が苦しいので、人のことまで考える余裕がなくなって、人に幸せをあげるどころじゃなくなっちゃうんですよね……。

 

でもどんな形であれ、「世のため」「人のため」に頑張ることは、巡り巡って「自分のため」にもなっているんだって気がついたので。

 

だって、「あなたの働きがよかった」とか「あなたの仕事ぶりが好きです」と仰っていただけることって、それだけでとても幸せなことじゃないですか。

 

そんなお声をいただいた時は、「答え合わせ」をしてもらえたような気持ちになるんです。

「あぁ、よかった、喜んでいただけたんだなぁ」と。

 

自分の存在が、そして仕事が、周りの人に喜ばれたからこそ「またお願いします」ってなる。

だから、そうやって認めてくださったり、またお仕事を任せてくださる「リピーター」にあたる方々って、どんな業種であっても本当に大切にするべきだと思います。

 

これからも、どんなお仕事だって、ご縁をいただいたら一生懸命やりたいです。

「求められる」もの、そしてできれば「それ以上」をお返しできるように。

 

それには、まだまだ修行が要りますけどね(笑)

うん、しっかり頑張ろう!

 

 

 

自分と向き合う時間、場所

 

 

こんにちは、紺野うみです。

今日もきれいなお天気ですね☆

冬晴れの、太陽のポカポカが好きだー!笑

 

さてさて、私が心理学に興味を持ってから、よく考えるようになったことがあります。

それが、「自分と向き合う」ことの大切さ。

 

たぶん、現代を生きる人の多くは、あまりに忙しなくて「ぼんやりとただ考える」っていうことをしていないんじゃないかな、と思うんです。

 

たとえば、電車に乗っててもついついスマホに手がのびてしまうじゃないですか(笑)

なにもしないで、ただぼんやりと考える時間が、なかなか取れないんですよ、本当に!

 

世の中自体が、そういう仕組みになっちゃっているようなところがあると思うので……。

自分のことについて、冷静に振り返ってみるだとか、今後のことを考えてみるということは、時々あえて意識してやってみるといいのではないでしょうか?

 

絡まりやすい気持ちも整理整頓できますし、「よしっ!」って心機一転できますからね。

 

ちなみに、それをやる場所も、心からリラックスできるところがいいと思いますよ!

私の場合は、言わずもがな神社だとか自然の中ですね(笑)

 

やっぱり自分のことって、日常を一生懸命生きてると、あえて「よし、今日は自分について考えてみよう」とかなかなか思わないですよね。

でも、だからこそ必要なんです。

想いも考えも感情も、まずは把握するところから。

一日一日を大切に生きるために、ぜひぜひ、自分についてあれこれ考えてみてください♪

 

そして、できればポジティブに締められるといいですね☆

明日も頑張ろう!    ……みたいに。

 

 

 

学校では教わらないこと

 

こんばんは、紺野うみです。

 

今年も、新年からいろいろなことがスタートして(っていうかさせてしまって。笑)、なにやらバタバタと新たな動きが起きているという実感がすごいです。

 

ただ、気をつけなくてはいけないのは、こういう時こそ一歩ずつ丁寧に、っていうことですね。

ついつい、なんでも中途半端になりがちなところだと思うんです。

しかも私のような、しつこいほどの「こだわり」と脱力系の「適当さ」が、リアルに共存している人間は!(苦笑)

 

それでね、2018年からの新しい世界を垣間見ながら、特に実感してしまったこと……。

それが、「学校で教わっていないけど、知っているといないとでは全然世界が違うな」っていう部分の「教養?」みたいなものが、いかに人間の中身を分厚くするかってことなんです。

 

「教養」って、もちろん学校の教科書に出ているようなこともそうなんですけど……。

育ってきた環境や身を置いていた世界によって、年月をかけて確立されてきた部分っていうのが、人にはやっぱりあるんだなぁって思って。

つまり、それは学校で教わっていないので、学力とかではなくたぶん人との違いが顕著に出るところの「教養」っていうものだと思うんですよね。

 

人間の魅力って、一言で言い表せないとしても、いろんな要素があるはずなんです。

思いやりとか、人の心の部分に関する温かさっていうのは、「人間性」という枠のようなところに分類されると思うのですが……。

 

品格とか誇り・礼節のような部分は、非常に日本人らしいものでありながら、確実に時代とともに薄れつつあるなぁと。

そういうものを自然と染み込ませている方っていうのは、「素敵だな」って感じるんですよね。

言動が、薄っぺらくない。

「なんでこうするんですか?」って尋ねると、きちんと答えが返ってくるような、理由と考えの裏付けがある行動をされているので、すごいと思うんです。

「なんとなく」とか、そういうのがあまりないんですよね。

 

私はここ数日でそれらを目の当たりにして、「あ、自分はまだまだ恥ずかしい人間だな」と痛感しました(笑)

そういう時は、恥ずかしさを感じつつも、同じ時間や空間を共にして「教科書にない学び」を積み重ねるより他ないのだろうと思います。

 

そういった理由もあり、いろんな世界を覗くことって本当に大切だなぁ……と。

ラッキーなのは、それに気づかせてもらったことなので、もうとことん謙虚にいきます!笑

 

もうね、本当に、なんでもいいんで(笑)皆さん私にいろいろ教えてください!

お願いします!!

 

 

氏神様にご挨拶

 

こんばんは、紺野うみです!

 

今日は、ちょっと順番が逆になってしまっていたのですが、氏神様へ新年のご挨拶へ!

今年はもう既に3ヶ所くらいは別の神社にご挨拶しているので、「遅くなりました!」とお詫びかねがね参拝してまいりました。

 

神社に着いたら、いきなり目に入った看板に「初詣は氏神様から」って書いてあって「あっ、すみませんホントすみません……(>_<)」ってなりました(笑)

怒られてしもた……。

 

でも今日くらいになると、うちの氏神様のお社は比較的静かにゆったり参拝できるので、とてもありがたいです。

初詣の長蛇の列が、やっぱり時間制限ある気分ですごく苦手で。

私の場合は、結構「ゆっくりお詣りできるかどうか」が重要でして(笑)

 

なんとなく後ろに並んでる人からの圧を感じたりとか、周りでがやがや喋っているのが聞こえていると、お祈りの途中で何を伝えてたか見失って混乱する、不器用な私です。

集中力が足りないのかも(苦笑)

 

私も昨年一年で、だいぶ神様について改めて知ることが多かったので、僭越ながら「氏神様」についても簡単にご説明させていただきましょう。

 

氏神様」というのは、その地域やそこに住んでいる人を守ってくださる神様のことを指します。

その神様をお祀りしているのが「氏社」。

 

その土地で生活や仕事をする人は、みんなその神様の土地にお世話になり、さまざまな恩恵にあずかっているわけですね。

日本全国に神社は山のようにありますから、日本にお住まいの方であればどなたにも「氏神様」がいらっしゃるはずです。

わからないという方も、「●●市××町    氏神様」なんかで検索すると出てきますかね?

 

初詣って、ついつい希望・願望の訴えが優先になりがちですが、まずは「今年一年も、お世話になります」というところから伝えられたらいいですね。

お願い事は、そのあとに(笑)

 

どこで暮らしていても、この土地に住まわせていただいてるとか、この地域を守っていただいているとか、そういう意識は忘れちゃいけないと思うんです。

でないと人間は、「別に自分が困らなきゃいいや」で、身勝手なことをやり出しかねません……。

(たとえば、ポイ捨てなんかも、その一端かなぁと)

 

 

もう少しだけ踏み込んだ話(?)をすると……。

 

神社っていうのは、まず「天照大神(あまてらすおおみかみ)」様をお祀りする「伊勢神宮」が別格なんです。

これは、天照様が日本の「総氏神様」にあたる太陽の神様なので、日本に住む限り絶対的に大切な存在だというわけなんですね。

 

そして、次いで大切なのがそれぞれの人にとっての「氏神様」です。

生活の基盤となる地域を守っていただいているわけですから、それに対する感謝は忘れてはいけません。

 

この絶対的な順序と言うのは、神棚にお祀りするお札なんかでも同じです。

私もお正月に行った巫女のご奉仕で、よくお札のお祀りの仕方をご質問いただきました。

 

神棚をお祀りする場合、「天照大神」様のお札は、基本マストです。

次いで「氏神様」のお札。

そして、崇敬する他の神社のお札、という順序に手前から並べる形になります。

 

3体並べてお祀りできる神棚の場合は、中央が「天照大神」様のお札。

向かって右に「氏神様」のお札。

左に崇敬する神社のお札。

 

こういうことって、学校で教わるわけでもないので、知らない方も多いです。

かくいう私も、きちんと知ったのは自分で興味を持ってからですから……。

 

さらに、仏壇はあっても神棚はないよ、という方も多いと思います。

その場合でも、せめてご自分の「氏神様」をお祀りしている「氏社」を知り、初詣の機会に「いつもお世話になっております」というご挨拶くらいはできるといいですね。

 

それは、たとえば自分の勤める会社に「いつもお世話になっております」と言うことと同じ……というよりも、それよりもっと根本の心構えだと思うので。

 

そういうことから大切にできたら、自然と毎日いろんなことに感謝できるようになる、という気がしています。

 

 

大好きな場所で働くということ

 

こんばんは、紺野うみです!

 

いつもいつも神社に行きたい私ですが、その思い余って(笑)とある神社で数日巫女のアルバイトをさせていただいております。

 

まさか自分が巫女をやる日が来るとは、夢にも思っていませんでした……!笑

 

 

というわけで、初々しくて可愛らしい学生さんに混ざって、2018年は神社で年越しをした紺野です☆笑

 

そしてなんというか……、本当に幸せでした(笑)

 

大好きな神社で、神様のお傍でお仕事ができるって、とても贅沢でいいなぁと思って。

 

それなりの寒さでしたが、ぜんぜん苦ではなく。

(もちろんしっかり防寒しましたし。笑)

久々の接客も楽しくて、朝日が昇るまでお札やお守りに囲まれて過ごしました!

 

 

それでね。

こうして考えてみると、大好きな場所で仕事ができるって、それだけでかなり幸福度が高いです。

 

何事もモチベーションって大事だと思いますが、お仕事できることに「喜び」がセットになると、自然と「おっし頑張るぞ!」って気合も入ります!

 

逆に、仕事をする場所をいかにして「大好きな場所」にできるかって、重要なことなのかも……なんてことを考えました。

 

その「大好き」の判断基準は、仕事内容に誇りを持てるかどうかとか、一緒に働く人が好きかどうかとかでもいいですし……。

 

逆の発想で、デスクを超自分らしく整えたりして、幸せな気分で仕事できる環境にしちゃうっていうのも、「大好きな場所」にする一つの工夫かもしれません。

(周りに迷惑をかけない程度にですよ?笑)

 

とにかく仕事っていうのは、決して楽しいばかりだったり、楽なものばかりだったりするものじゃありませんよね。

時には辛いなぁとか、大変だなぁとか、そういった状況があるものだと思います。

 

でも、そういう時だって、そこがなんらかの理由で「大好きな場所」なら、人間頑張りが効くというもの!

 

私の普段の仕事場はパソコンの前ですが、そのデスクには大好きな植物とかを置いたり、アロマオイル常備していたり、いつでもリフレッシュできるようにやってます☆

 

自由にさせてもらえて感謝(笑)

 

そして昼休みに神社に出掛けたり、今回みたいに神社でご奉仕させていただいちゃったりすれば、もう人生それだけでかなり幸せ。

 

 

神社の内側の人間として過ごすというのは、もちろん責任も大きいです。

 

あくまでも「神様」にお仕えするのがおつとめなのですから。

 

神社の印象をよくするも悪くするも、そこにいる人間次第なのです。

 

昨年末には富岡八幡宮で痛ましい事件がありましたが、一番やってはいけないのは、神様に仕える人間が、神様やその神社の顔に泥を塗るようなことだと思います。

そんなことをするくらいなら、せめて先に神様のそばにいることやお仕えするのをやめて、ただの人になってからにしてほしかった……、と考えずにはいられません。

 

人間は、自分のためだけの欲に翻弄されるとどこまでも愚かなことをしてしまうのですね……。

 

まだ、私はあと数日ご奉仕させていただきますので、気を引き締めて、でもめちゃめちゃに楽しみながら(笑)頑張ろうと思います!